おやおや、いつの間にか五月になってしまった。皐月晴れの爽快感とあまりにも程遠い気分である。読書にも身が入らぬし、ヴェランダで一服したくとも、吸いたい銘柄の煙草を切らしてしまった。やれやれ。
先日からすっかりはまっているネット経由で
BBC3のウェブラジオ。今夜もこんな演目を見つけて聴く。もちろん実況である。"Through the Night" という番組から。
2005年(?)、ロッテルダム(?)
ワレリー・ゲルギエフ指揮
ロッテルダム・フィルハーモニー管弦楽団
プロコフィエフ:
■交響曲 第五番
ゲルギエフのプロコフィエフなら2008年暮のロンドン交響楽団(LSO)東京公演で親しく耳にした。この「第五」もたいそう入念な力演(ちょっと形容矛盾だがそうなのだ)だったと記憶する.
その日のレヴュー(全文は
→ここ)から引いておこうか。
さすがにゲルギエフはプロコフィエフを知り尽くしている。この曲の古典的な枠組を尊重したうえで、きめ細やかな指示を出しつつ、各奏者から音楽的なパッセージを最大限に引き出し、豊かな歌と表情で満たしていく。ツィクルスの最終曲目ということもあって、フルートもクラリネットもオーボエも首席奏者がずらり勢揃いし、惚れ惚れするようなソロとアンサンブルの妙を聴かせる(第二楽章冒頭のクラリネット主題の絶妙な奏され方といったら!)。ディスクで聴くカラヤン&ベルリン・フィル、ミトロプロス&ウィーン・フィルの秀逸な演奏すらも軽々と凌駕した、この曲の正攻法にして最上の名演を目の当たりにした思い。
心ゆくまでプロコフィエフを堪能した。久しぶりに「ブラヴォ」を叫ぶ。これ以上の演奏に果たして出逢えるだろうか。
ここで聴く演奏はなるほど東京で聴いた実演とよく似た解釈で、あのときを彷彿とさせはするものの、楽団の力量が月と鼈である。ゲルギエフという人は細部の彫琢をオーケストラの自発性に委ねている故、個々の奏者の力量が問われてしまう。
ロッテルダムの管楽奏者たちは相当にお粗末で、あちこち綻びだらけ。安心して聴いていられない。LSOで嘆賞したフルートやクラリネットの惚れ惚れするようなソロには遂に出会えず仕舞。むしろ弦主体で展開される第三楽章の沈潜や慟哭にこそ掬すべき美点があると感じられた。終楽章の盛り上がりは悪くなかったが。