家人を誘って隣町の習志野まで出向く。JR津田沼駅前の習志野文化ホールへ。
このホールも先日の大地震で天井が崩落して使用不可なのだという。ひっそり静まりかえった建物に入ると、傍らの附属ギャラリーだけに照明が灯り、愉しげな人の声がする。大丈夫、どうやら開催されているらしい。
今日からこの小さなスペースでささやかな展示が始まった。
CLARA VOCE Exhibition
習志野文化ホール ギャラリー
3月31日(木)~4月4日(月)
(口上)
吉野路子さんが鹿児島で棉を育て、糸を紡ぎ、藍染をして、布を織り上げる一貫した手仕事を嬉しく思います。
頑張り屋の路子さん。大きい志の路子さん。手紡木綿のようにあたたかく、やさしい仕事を願っております。(出西織/多々納桂子)
吉野路子さんとはちょっとだけ知り合いだ。もう十年近く前になるが、奉職していた美術館で学芸員実習生を受け入れたとき一週間ほど指導を担当した。
大学生だった彼女は当時から日本古来の伝統文化、とりわけ染色や織物に関心を寄せていたらしいが、卒業後は更にその道を窮めようと千葉から丹波篠山に移り住んで、機織りの修行に勤しんだ。その頃の彼女を篠山まで訪ねたこともある。山深い静かな村でひとり黙々と手仕事を学んでいる姿に心打たれたものである。あれからもう五年ほどになるだろうか。
三月の初め、その吉野さんから久し振りに展覧会の知らせが届いた。再会を楽しみに待つ間に震災があった。予定どおり開催されるのか覚束ないまま初日の今日、会場を訪れたのである。ギャラリーに近づくと、来客に展示を説明している明るい声が聞こえてきたのにホッと安堵する。
部屋のあちこちに彼女が丹精込めて仕上げた木綿生地がさりげなく飾られている。色は白と茶と濃淡の藍色。その色合いの繊細な美しさ、懐かしく温かい風合いに心を奪われる。暫く眺めていたら吉野さんから挨拶される。
吉野さんから話をうかがう。もともと綿には「白綿」と「茶綿」の二種類があり、生成りの木綿布にも白と茶がある。藍の深さは染めの程度による。染めを繰り返す程に濃さを増して、最後は黒と殆ど見分けがつかなくなる由。
大学を出た彼女はまず機織りの基本を学ぶべく、兵庫県の丹波篠山で二年間修行、そのあと木綿の栽培から藍染、機織りまでを一貫して実践する島根県斐川町の多々納桂子さんの許に弟子入りし、ここでも二年間かけて全工程を学び取ったのだという。そのあと、自分でも同じような作業をしようと決意、地元の千葉県でも仕事場を探したそうだが、畑地があってふんだんに井戸水が使えて、しかも藍の発酵のため煙が立っても近所に迷惑でないような場所、となるとなかなか見つからず、やがて伝手を辿って鹿児島県の伊佐という地に住み着いて製作を始めたのだという。
彼女のHP「Clara Voce」から解説を引く(
→ここ)。
Japan Blue ── 藍
作家の小泉八雲は「この国日本は神秘のブルーに満ちている」という言葉を残しています。
かつては日本人の生活に欠かすことのできなかった藍染。保温に優れ、防虫殺菌効果のある藍布は古くから健康保持の布として用いられて参りました。
私の住む鹿児島県伊佐市の周辺の山々から出る樫や檪を燃やし、灰を集め、灰汁をとり、日本酒や石灰、ふすま(麦皮)や小麦粉を用い、古から伝わる藍の発酵建てという方法で染色をいたしております。
純粋で自然な藍が、十分発酵して染まった布は色落ちすることがほとんどなく、洗う度灰汁が落ち、澄んだ色になって参ります。
ギャラリーの壁には棉の栽培から藍染に至る手順が写真パネルで示されている。この果てしない工程のすべてを吉野さんはひとりで根気強く手掛けられている。特に難しいのは蓼藍の葉を発酵させた蒅(すくも)を灰汁や酒、ふすまなどと混合しながら発酵を進める「藍建て」の工程だそうだ。料理と同じでちょっとした手順やタイミング、火加減で駄目になってしまう。話を聞いているだけで気が遠くなってくる。
昔の日本人が永い試行錯誤の末に生み出した方法をひとつひとつ忠実に辿りながら、本当に満足のいく藍染に至ろうとする吉野さんの熱意と根気に心を打たれる。にこやかにさりげなく語る彼女の奥に潜む芯の強さに圧倒されてしまう。
吉野さんは大量生産され市場に溢れる木綿がいかに危うい方法で生み出されているかも話された。枯葉剤で強制的に収穫を早め、漂白・加工の段階ではふんだんに化学薬品が投入される。食品以上に危機的な状況なのだという。ここでも私たちの消費至上文明の恐るべき歪みが露呈しているのだ。時代の趨勢に背を向け、あえて古式の藍染にこだわる彼女の姿勢は、それに対するひそやかな、したたかな抵抗といえるかもしれない。そんなことも痛感させられた。
家人ともども、すっかり打ちのめされた思いで辞去。
そのあとは見知らぬ街路を行き当たりばったりに歩くこと一時間。谷津干潟に出た。もう渡り鳥はすべて帰ってしまったが、いつ来てもこの場所は心がなごむ。自然のなかで、自然と共に歩むことができたら、どんなにいいだろうか。