大震災が起きてからもうすぐ二週間。初めて東京まで往還した。本籍のある練馬区の役所に出向く用事があったからなのだが、まずは富士見台のカレー屋「
香菜軒」で昼食をいただく。天然海老とキノコのカレー、野菜カレーを組み合わせたランチ・メニューを賞味する。つくづく美味しい。
店主の三浦さんにうかがうと、ちょうど昼の営業を終えテーブルで休憩していたとき地震に襲われたとのこと。棚のグラス類が床に落ちて粉々になったものの、厨房には被害がなかった由。ただし気がかりなのは今後の仕入れだそうで、天然海老の仕入れ先である東北の漁港は壊滅的な被害を受け、これまでのような美味しい清浄野菜が手に入るかどうかも気掛かりだという。
そのあと隣町まで歩く。かつて住んでいた界隈なので懐かしさが募る。地震の爪跡は目につかない。見上げると桜並木の蕾が膨らんでいる。七、八分ほど歩いて中村橋に到着、区役所出張所で書類の交付を受ける。待っている間も赤子を抱いた母親がミネラルウォーターの配布を受けに続々とやってくる。窓口の対応は思いのほか速やか。短時間で済んだので、それならと指呼の距離にある練馬区立美術館へ。
ここで先月末から「
グランヴィル 19世紀フランス幻想版画」という展覧会をやっている。「鹿島茂コレクション 1」と銘打たれるように高名な仏文学者がせっせと集めた収集品だ。例の「子供より古書が大事と思いたい」の鹿島氏である。
どんなものか、ものの試しにひとつ覗いてやれと冷やかし気分で足を踏み入れると吃驚。代表作の『
当世風変身譚』がある、『
動物たちの公私にわたる生活の情景』がある、勿論『
もうひとつの世界』も、遺作である『
生命ある花々』も『
星々』も、全部が勢揃いし所狭しと展示されている。いやはや魂消た。よくもまあ集めたものだ。
版画史をちょっと齧った者なら「J・J」の名を知っている。といっても植草甚一ぢゃないよ。フランス19世紀の
J・J・グランヴィル(1803~1847)のことだ。政治諷刺版画から出発し、動物と人間が合体した秀逸な滑稽挿絵を数多く生み出した挙句、奇矯な個人的幻想を開陳し精神を病んで死んだ。晩年の諸作は遙か時代に先駆け、殆どシュルレアリスムに踵を接している。物知りな「J・J伯父さん」がグランヴィルに着目していた事実を知る人も夙に少なくなかろう。
鹿島茂氏がグランヴィルに魅せられた理由は想像に難くない。なにしろ19世紀ブルジョワ社会を皮肉に映し出す鏡そのものだからだ。しかも途轍もなく巧緻で愉快。だがその出会いは一触即発、殆ど一目惚れに近いものだったらしい。
パリの古書店の棚でグランヴィルを発見して以来、人生が変わってしまった […]。グランヴィルを発見する以前と以後ではなにもかも変わってきたとさえ断言できる。
こんな凄い挿絵画家がいたのかという驚きだけではない。もしかすると、グランヴィルの絵を見たら、才能ある画家がとんでもない影響を被って、まったく新しい美術のジャンルが創造されるかもしれないという信念が生まれたからである。
そして、その時以来、私は今日ある日を夢見て、グランヴィル作品のコレクションに励んできた。グランヴィルを一目見たとたん人生が変わったと感じる人が自分以外にも存在することを信じて。
つまり、ここに、私は自分がコレクションしてきたグランヴィルを一カ所に集めて公開することで、グランヴィル狂を大量発生させ、それによって美術の歴史に大きな変化をもたらしたいと思っているのである。
グランヴィルを見たら人生が変わる。グランヴィルを見てから死ね、なのである。
いやはや、そこまで言うか。病膏肓に入るとはまさにこのことだが、小生とてロシア絵本の収集に身を持ち崩した者なので、その辺の心の機微はまあ想像がつく。3月12日に予定された(そして恐らく中止になった)氏の記念講演が「
グランヴィル狂──
グランヴィルのものなら何でも蒐(あつ)
めたい」と題されているのも宜なるかな。
(明日に続く)