全く気づかなかったのだが、今日は
ヨハン・ゼバスティアン・バッハの誕生日なのだそうだ。友人のツイッターで知らされた。生誕三百二十六年という半端な日ではあるのだが、昨日たまたま大バッハの鍵盤曲を聴いたのは不思議な暗合だったわいとつくづく思う。
大バッハの音楽の底知れない深さ、広大無辺かと思える包容力、それでいて惜しみなく優しさと慈しみを湛えた人間的な魅力はどこから来るのだろう。
いつ何を聴いてもしみじみそう感じられるバッハのバッハらしさを言葉で言い当てることは至難の業だ。ただ黙って耳を傾けるほかに術はない。なので手近なディスクを任意に取り出して、これを聴く。
"Lorraine Hunt Lieberson: Bach Cantatas"
バッハ:
カンタータ 八十二番 「われは満ち足りたり Ich habe genug」
カンタータ 百九十九番 「わが心は血に塗れ Mein Herze schwimmt im Blut」
メゾソプラノ/
ロレイン・ハント・リーバーソン
クレイグ・スミス指揮
エマニュエル・ミュージック管弦楽団
2002年5月13~16日、ボストン、エマニュエル教会
Nonesuch 7559-79692-2 (2003)
基督の死を扱いながら「82」には静謐な、甘美なまでの安らぎが漂っている。"Ich habe genug" の詩句が繰り返される冒頭のアリア、第三曲の名高いアリア「眠れ、疲れたまなこよ Schlummert ein, ihr matten augen」のまどろむような平穏はどうだ。一方の「199」のほうはほの暗い悲愁の影が差すが、アリアの静寂に満ちた佇まいは「82」と変わらない。どちらの曲も独唱に絡み合うようなオーボエ独奏がしみじみとした情緒を醸す。心に沁みる音楽である。
ロレイン・ハントはもともとこのボストンの教会付属の合奏団でヴィオラを弾いていて、声楽の才を認められたのだという。このバッハはいうなれば彼女の古巣での録音なのである。
なんという率直さと人間味に満ちた声であることか。深く強く魂を揺さぶられる。誰もが
カスリーン・フェリアーの名を想起せずにいられない。なんとも悲劇的なことに「われらの時代のフェリアー」ロレイン・ハントは、この録音から僅か四年後、癌のため五十二の盛りで早世してしまうのである。