大地震と大津波から今日で十日になる。想像を絶する天災に引き続き、究極の人災たる原発事故が誘発され、われわれは一時も心を休ますことができずにいる。
こういうとき遠く海外から寄せられる同情と励ましほど心強いものはない。
この瞬間、わが国から何千マイルも離れた遠い国日本で、なにが起こったのか詳細にはわからない。これまでのところ、死者の正確な数も手もとになく、まだ何千人なのか、何万人に達するのかもわからない。さまざまな符牒や名前をわれわれは受け取っているが、その符牒や名前が人を意味するのか、文化なのか民族なのか理解困難である。手もとにある地震計は、震動がとてもとても遠くで起こったことを示している。そしてただそれだけだろうか? 一七五五年に地震がリスボンを破壊した時、この震動はヨーロッパの全範囲で感じられた。[…] そして十八世紀の人間は神に問うたのである──神よ、もしあなたが存在するなら、どうしてこんなに多くの悪を許しておくのだろうか?
トーキョウを破壊しヨコハマを水浸しにし、フカガワとセンジュとヨコスカを火の海にし、アサクサを粉砕し、カンダとゴテンバとシタヤをめちゃくちゃにし、ハコネを崩して平らにし、エノシマを呑み込んでしまったこの震動は、これらの異国的な名前が語るほどわが国から遠くで起こったのではない。それは近くのことだ。それは私たちの心が届く範囲で、おそらくおそらく、援助の手が届く範囲だろう。そしてわれわれの脳をゆり動かし、昏睡状態から目ざめさせるのに十分な近さであることは決定的である。二十世紀の人間は、この恐怖に直面して、神が存在するかどうか、神に質問するようなことはしない。その代わりに、人類が存在するかどうかを人類に質問する。そしてそれは、現在、とくに世界大戦後の現在、かつて神にたいする質問がそうであったよりも、もっと恐ろしくもっと運命的な質問である。それは人間性の問題ではなく、文明の問題なのである。
「巡洋艦なになに号が、救援活動のためヨコハマに向けて出航した」それはよろしい。しかし、世界中の巡洋艦が機関のボイラーの蒸気をいっぱいにし、全力をあげてヨコハマに急行したとしても、それでは十分でなく、それで世界の良心がおさまることはないだろう。世界中のすべての政府が募金と哀悼の言葉や電報と薬品を送ったとしても、十分ではない。すべての弔鐘が鳴らされ、すべての旗が追悼のために半旗の位置におかれたとしても、それはささやかで無に等しい。五十万か六十万の人々が建物の破片や火や水のために命を失った。デリケートな文化を持ち、疲れを知らぬ勤労の町々が廃墟となっている。おそらくそれは、世界大戦の恐ろしい災害の後ではたいしたことではないかもしれず、おまけにあまりにも遠くの出来事である、そしてそれは、われわれに理解もできず実際にはほとんど関係もない、肌の色の異なる国民を襲ったのだ。いやそうではない、それは遠くのことではない。日本で大地が震動していたその瞬間、他の国民の脚下の土地はゆれ動かなかった。ただ、それはわれわれの遊星を裂き、ゆり動かしたのである。竹のはりやたる木は、肌の黄色い、ほほえみを浮かべている小柄な人たちの家族の上に砕け落ちたのではなく、人類の頭上に落ちたのだ。地表で起きたこの波に、全世界の人間の心の波が応じないとしたら、恐ろしく皮肉なことである。心の波とは連帯の波のことだ。
遙か地球の反対側で起こった大災害を「
それは近くのことだ」と言い切り、いまや「
人類が存在するかどうか」が問われているのだと喝破し、遠い「微笑みの国」に襲いかかった厄難を「
人類の頭上に落ちたのだ」と断言できたこの人は誰だろう。
この人の戯曲を既に日本人は読むことができた。英語版からの重訳ではあったが、『
人造人間』なる題名で邦訳が刊行されていたのである(宇賀伊津緒訳/春秋社、1923年)。もっとも数箇月後の「厄難」で在庫の大半は焼失してしまったろうが。
ここに引いたのは、いみじくも「
ゆれ動く世界」(1923)と題されたエッセイの前半部分。続きも書き写したい誘惑に駆られるが、あとは書籍で是非お読みいただこう。
カレル・チャペック
いろいろな人たち
チャペック・エッセイ集
飯島周 編訳
平凡社ライブラリー
1995
今こそチャペックを読もう。「世界市民」を自覚した偉大なるヒューマニストの文章を。