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庭は夏の日ざかり」のSonnenfleckさんが昨日、不安と気鬱を抱えつつウェブラジオで
バッハ(マレイ・ペライアが弾き振りするBWV1058の協奏曲)の実況を聴いて、「
涙が出て仕方がない」「
最終的にバッハの音楽に拠るところが大きいことがわかった」と率直に心境を吐露されている(
→ここ)。
本当にそうだ。バッハの音楽には何か底知れない救済の力がある。人間的な慰撫と平安を湛えながら、人智を超えた光が溢れ出す不思議さがそこにはある。
"Music of Tribute vol. 5: J. S. Bach"
バッハ: 前奏曲 ホ短調 BWV941
デュティユー: バッハ讃 ~「波のまにまに Au gré des ondes」 (1946)
バッハ: フーガ ハ長調 BWV953
オネゲル: バッハの名による前奏曲、アリオーゾとフゲッタ (1932)
バッハ: 前奏曲 ハ長調 BWV939
ゴドフスキー: 左手のためのB.A.C.H.主題による前奏曲とフーガ (1929)
バッハ: 小前奏曲 へ長調 BWV927
プーランク: バッハの名による即興円舞曲 (1932)
バッハ: 小フーガ ハ長調 BWV924
ヴィラ=ロボス: ブラジル風バッハ 第四番 (1930/41)
バッハ: 前奏曲とフーガ ニ長調 ~平均律クラフィーア曲集 第二集 BWV874
バッハ: 前奏曲 ハ短調 BWV999
バルトーク: J.S.B.讃 ~「ミクロコスモス」第三集 (1935~37)
クルターグ: J.S.B.讃 ~「遊戯 Játékok」第三集 (1979)
ライリー: Gソング ~映画《バイオスパン 暗黒の実験》 (1976/85)
バッハ: 小フーガ ニ長調 BWV925
ショスタコーヴィチ: 二十四の前奏曲とフーガ 第二十四番 (1950~51)
バッハ: イタリア協奏曲 BWV971
ピアノ/ベアトリーツェ・ベルトルト
2005年8月、ザールブリュッケン、ザール放送局 放送スタジオ
Labor LAB 7079 (2007)
これはなんとも心憎いアルバム。大バッハの鍵盤音楽と、それに触発された20世紀のピアノ曲を交互に並べた興味津々の企てである。オネゲルのような親バッハ的な資質の作曲家ばかりでなく、
プーランク(!)や
テリー・ライリー(!!)のような思いがけない人物がバッハにオマージュ(目配せ?)を捧げているのに驚く。
バルトークと
クルターグが揃って同題のトリビュート曲を書いているのも面白いし、
ショスタコーヴィチの最もバッハ的な作品を、本家のクラフィーア曲に挟まれた形で聴くのも滅多にない体験。こうして続けざまに耳にすると、「バッハに帰れ Back to Bach」は20世紀全体を貫く通奏低音だったのだ、といいたくなる。
奏者はライプツィヒ出身。まるで知らない女性だが、安定した技量とヴァーサタイルな才能の持ち主とおぼしい。少なくとも当盤のどこにも破綻はない。
それにしてもバッハの偉さよ。後続の者たちはいずれもちょっと緊張し、なんとなく裃をつけ神妙な面持ちなのに対し、本家本元は自在にして天衣無縫、包容力たっぷりに、聴く者を深い安らぎへと導く。バッハはやはり蒼茫たる大海なのだ。