夕方に東京駅近くで所用があるので、上京ついでに早稲田大学坪内博士記念演劇博物館で企画展を観る。題して「
コレクションに見るロシア演劇のモダニズムとアヴァンギャルド」。大いなる期待と共に臨んだのだが、いつもの大部屋ではなく片隅の「企画展示室Ⅱ」での展示と聞いてちょっとがっかり。昨年「チェコ舞台衣裳デッサン画展」(レヴューは
→ここ、
→ここ)を観たあの狭々しい小部屋である。いくらなんでも、そりゃないんぢゃないの!
早稲田はロシア演劇関連資料の宝庫である。古くは革命前夜モスクワで学んだ初代露文科主任教授
片上伸の収書に始まり、戦前におけるプロレタリア演劇の実践者である
土方与志と
千田是也の遺品、夥しいアヴァンギャルド演劇をリアルタイムで実見した碩学
野崎韶夫の収集資料、更には近年になって中央図書館が購入した
Maria Enzensberger 旧蔵の稀覯本コレクションまで。その目も眩む豊饒さに比して、今回の企画はあまりにも小規模で、中味も急拵えといわねばなるまい。
とはいうものの、部屋に足を踏み入れるや戦慄が走る、震えがくる。
20世紀初頭のリアリズム演劇の最高峰、
モスクワ芸術座の舞台写真の多くは千田是也旧蔵品であり、いくつかは土方与志の将来品だという。それだけでも貴重なのだが、ケース内に広げられた第二芸術座に関する書籍の見返しには1927年12月3日付でチェーホフの甥ミハイルの献辞が記されている。なんと
鳴海完造の旧蔵書なのだという。傍らには『トゥルビーン家の日々』の上演プログラムがこともなげに置かれている。
ミハイル・ブルガーコフが芸術座のために書き下ろした芝居である。これは野崎韶夫の遺品であろうか。彼はこれを留学初年の1928年に観ている。
次のコーナーでは革命政府の肝煎りで開設されたモスクワの
国立ユダヤ劇場の舞台写真が目を惹く。名優
ソロモン・ミホエルスが芸術監督を務め、ロビーにシャガールの壁画を掲げた伝説の劇場である。演目はジュール・ロマンの『トルアデック』、舞台美術が
ナタン・アリトマンというのも驚きだ。
併せて亡命ロシア人たちの演劇活動も紹介される。
ニキータ・バリエフの主宰する
蝙蝠座のアメリカ公演パンフレット、ベルリンの人気カバレット「
青い鳥」の舞台写真、同じくベルリンにあった
ボリス・ロマノフ夫妻の
ロシア・ロマンティック劇場の舞台写真など。興味深い資料が目白押しだ。ただし部屋の狭さもあって展示は些かごちゃついており、キャプション解説も不親切である。勿体ない。
アレクサンドル・タイーロフのモスクワ室内劇場(
カーメルヌイ劇場)の資料はかなり豊富だ。
アレクサンドラ・エクステルや
アレクサンドル・ヴェスニンの手掛けたキュビスム=構成主義風の舞台美術を彷彿とさせる上演写真の数々、
ステンベルグ兄弟のデザインした興行ポスター、更にはエクステルや
エリ・リシツキーの斬新な装丁になるタイーロフの著作。目も眩むような往時の舞台を遙かに偲ぶよすがの数々である。夢の欠片といおうか。
バレエ・リュス関係では1917年と21年の公式プログラムが展示されていたが、旧蔵者は誰なのだろう。とりわけ前者を確実に観たといえる日本人は寡聞にして知らないので興味深いところだ。あとは公式カタログ合冊豪華本(1922)、バクストの画集(1927、ベルリン刊)、バルビエのニジンスキー版画集の英語版(1913)、それに
アンナ・パヴロワ来日公演の帝劇プログラム(1922)など。「まあ、こんなところか」というのが正直な感想だ。面白いのは1952年に来日した
セルジュ・リファールのバレエ・シューズの現物。演博を表敬訪問した際の置き土産という。
特に目を奪われたのは、1919年にパリで刊行されたポートフォリオ『ゴンチャローワ/ラリオノフ 現代舞台装飾美術』からの数葉だろう。とりわけ
ミハイル・ラリオノフがラヴェルの「博物誌」に想を得たバレエ(実現せず)のため構想した衣裳デザインの斬新さはどうだ(例えば
→これ)。1923年パリで催された芸術家の仮装舞踏会のために同じラリオノフがデザインした告知ビラ(
→これ)も愉しいものだ。
こんな調子で展示資料を挙げているとキリがないが、奥の展示ケースでクルチョーヌィフの『
太陽の征服』(1913)、クルチョーヌィフ&フレーブニコフの『
地獄の遊戯』(1913)、フレーブニコフの『
ザンゲジ』(1922)といった戯曲の稀少な初版本が間近に拝めるのも大いなる眼福だった。表紙だけでも見られて嬉しい。なにしろ装画を手掛けたのが
カジミール・マレーヴィチや
ピョートル・ミトゥーリチなのだから。
それにしても一体全体この展覧会は何を明らかにしようとしているのか。日本人のロシア演劇体験の系譜? 近代ロシア演劇の豊饒な多様性? それともただ単に年間展示計画上の穴埋め? 企画者の視点が定まらないので、羅列的な展示に終始し、小さな空間なのに一向に凝縮した意味を伝えないのが遺憾である。
カタログについても同じことがいえる。三本の論考がどれも展示とかけ離れた趣旨で、この展覧会について何ひとつ語っていないし、二本までがチェーホフの話題に集中し、残る一本が無内容となると、これはもう「金返せ」である。展示品リスト(カタログと実際の展示には異同がある)が貰えないのも不親切。巫山戯るな、もっと真面目にやれ! これは過去に対する敬意の有無の問題なのである。