旧友たちのサイト「
荻大ノート」のためインタヴューした録音のテープ起こし(←死語か。もうテープぢゃない…)に着手。二月初めに三浦規成君の昔語りを収録したままになっていたものだ。学生時代の思い出をいろいろ面白く語ってくれたのだが、読み易い形に纏めるのは容易でない。いろいろ試行錯誤するが方向はまだみえない。もう数日かかりそうだ。
ちょっと骨休めに昨日の続きで
コンドラシンのディスクを聴く。
《伝説のN響ライヴ》
プロコフィエフ:
映画組曲『キジェー中尉』
交響曲 第五番
キリル・コンドラシン指揮
NHK交響楽団
1980年1月25日、30日、東京・渋谷、NHKホール(実況)
キング KICC 3017 (2001)
コンドラシンのプロコフィエフの正規録音は決して多くない。この二曲もほかでは全く聴けないレパートリーである。亡くなる前年に単身来日し、N響を振った稀少な演奏記録という意味でも価値が高い。なので三年前に倫敦のプロコフィエフ・アーカイヴを訪問した際も、これを真っ先に手土産に選んだものだ。
始まった途端ガックリくる。「
キジェー中尉」(Поручик Киже の発音は
「キージェ中尉」ぢゃない由。要注意!)の金管ソロが余りにも貧相で悲しい。聴き通すのが辛くなるほどだ。単に下手糞というだけぢゃない、ユーモアやペーソスの欠片もないのが致命的。コンドラシンの愛好曲だったというのに形無しだ。これがアムステルダムやミュンヘンの楽団だったらなあ。
ところが次の
第五交響曲は見違えるほど上等な出来映えなのに吃驚する。五日後の演奏なので、よほど練習で絞られたのであろう。コンドラシンらしい真摯で緊迫感ある造型がちゃんと形になっている。
N響は相変わらず非力で、肝腎なところでほうぼう綻んでいるのだが、のっぴきならぬ深刻な悲劇性をこの曲のなかに認めようとする意図はそれでもよく伝わる。二楽章の推進力にも、四楽章の終結部の壮絶なコーダにも、紛れもないコンドラシンの個性が刻印されている。これは一聴に値する演奏だ。
口惜しいことにコンドラシンの正規スタジオ録音にプロコフィエフの交響曲は一曲もない(「スキタイ組曲」と「十月革命二十周年カンタータ」、さまざまな協奏曲伴奏があるのみ)。ロジェストヴェンスキーの全集が一世を風靡した時代だったから無理もないが、その不備が今更ながら悔やまれる(そういえばチャイコフスキーの交響曲も録音は「悲愴」のみ)。歿後に実況録音で辛うじて「第一=古典」と「第三」が聴けるようになったのだが、然るべき力量を備えた管弦楽団との共演でこの「第五」か「第六」を是非とも聴いてみたいものだ。どこかの放送局アーカイヴにないものか。