なんとなく気忙しいまま過ぎていく二月。
五十回目の命日(2月20日)をめがけ
パーシー・グレインジャーの音楽をじっくり聴き込むさなか、18日になって露見した
芦屋市立美術博物館の問題に怒ったり心を痛めたりしているうち月末になってしまった。懸案の連載の執筆再開も、旧友たちのサイトのためのテープ起こしも、部屋の片づけも、すべて三月に持ち越しである。
先週お茶の水の中古屋でたまたま手にして以来、取り憑かれたように繰り返し愛聴している一枚のディスクを紹介して今月の締め括りとしたい。
プロコフィエフ:
交響曲 第五番 変ロ長調 作品100
終戦頌歌 作品105*
ウラジーミル・ユロフスキー指揮
ロシア国立管弦楽団(Российский Национальный Оркестр)
2005年9月、モスクワ音楽院大ホール(実況)
2007年2月、モスクワ、DZZスタジオ5*
Pentatone PTC 5186 083 (2007)
ユロフスキー(Vladimir Jurowski/息子ウラジーミルのほう。父ミハイルも名高い指揮者)が卓越したプロコフィエフ指揮者であることは、故ノエル・マン女史から教示された。ゲルギエフに勝るとも劣らない優れた解釈を示すのだという。
それからというもの、2008年、2010年と訪英の度毎にユロフスキーの演奏会に努めて足を運んだ(彼が首席指揮者を務めるロンドン・フィルの定期公演)。ブラームスの第一、マーラーの第一と第四、いずれも水際立った演奏ではあったが、残念ながら彼のプロコフィエフを耳にする機会はまだ得られずにいる。
いやはや、凄いだろうとは予想していたものの、これには心底から驚嘆させられた。震撼させられたといってもいい。
プロコフィエフの第五交響曲がかくも禍々しく底知れない悲劇の予感を孕んでいたとは! 独ソ戦終結の当日、モスクワで賑やかに初演された平明で祝祭的な交響楽だと思い込んでいた方(小生とてそのひとりだった)はぜひお聴きになられるといい。
この交響曲に深刻な悲劇性を見出した演奏としては半世紀前に
パウル・クレツキが残した「知られざる名盤」もあるが(フィルハーモニア管弦楽団/1963年EMI録音)、聴き較べるまでもなくユロフスキーの演奏はそれとも趣を異にする。クレツキが強烈なパッションを叩きつけるように有無を言わせぬ力で押し切るのに対し、ユロフスキーはむしろ冷静に抑制を保ちながら細部を丹念に彫琢する。
オーケストラの技量は申し分なく、実況録音だというのに、あらゆる声部が完璧に統御されているのが怖いほどだ。テクスチャーの絡み合いは入念を極め、バランスは常に揺るぎない。にもかかわらず、背後から忍び寄るように漠たる不安や切迫感がじわじわと醸成される。こんな陰影に富んだプロコフィエフがかつてあったろうか。
とにかく全楽章どこをとっても新鮮な発見に満ちた頗る刺激的な演奏。なんという深遠にして複雑なスコアをプロコフィエフは書き上げていたことか。
それにしても三十三歳の若さでこれだけの高みに到達したユロフスキーの才能には舌を巻くほかない。ノエル先生はロンドンでこの曲の実演を聴かれたそうだ(2008年、ロンドン・フィル定期)。小生にもいつか機会が巡ってこないだろうか。