CD時代が到来して十年。20世紀がいよいよ残り少なくなってきた1990年代を通して、
パーシー・グレインジャーの音楽は不死鳥のように甦った。ここまで採り上げてきたディスクの殆どすべては「グレインジャー・ルネサンス」とも呼ぶべきこの時期、さまざまなレーベルから陸続と世に出たものである。
その最も目覚ましい成果が1997年、英国のEMIから出た。満を持して制作されたグレインジャーの管弦楽曲アンソロジー。しかも指揮は今を時めく
サイモン・ラトル卿その人。いかにも真打登場といった按配である。
"Percy Grainger: In a Nutshell"
グレインジャー:
組曲「早わかり」
トレイン・ミュージック (汽車の音楽)
カントリー・ガーデンズ
鐘の谷 (ラヴェル曲、グレインジャー編)*
「リンカンシャーの花束」
パゴダ (ドビュッシー曲、グレインジャー編)
戦士たち
サイモン・ラトル卿指揮
バーミンガム市交響楽団
1996年12月、バーミンガム、シンフォニー・ホール
1990年4月、ウォーリック大学アーツ・センター、バターワース・ホール*
EMI 5 56412 2 (1997)
「
早わかり」を聴き始めて即座に引き込まれる。なんと生き生きと表情豊かな演奏であろう。快活なリズム、光彩陸離たる色彩、随所で放射されるヴィヴィッドな生の活力。あえかに漂う情感。グレインジャー演奏に必須な要素がずべて具備された秀演というべきだ。ラトルはどこでこれほどの技を学んだのだろう。
このアルバムは選曲が実に行き届いている。代表作として知られる「
早わかり」と「
リンカンシャーの花束」、人口に膾炙した「
カントリー・ガーデンズ」の傍らに、世界初録音の「
汽車の音楽」(未完)を配し、ラヴェルとドビュッシーによる編曲物で比類のないグレインジャーの特異な志向性("tuneful percussion")を披歴したあと、最高傑作「
戦士たち」で締め括る。さまざまな個性を秘めた多彩な作曲家の管弦楽曲アンソロジーとしてまことに申し分ない。
とりわけ白眉は「
戦士たち」だろう。昨日聴いたガーディナーの演奏の更にその上を行く、文字どおり天馬が空を駆けるような疾走感と、凄まじいエネルギーの炸裂とを、ふたつながら見事に現出させた驚異の名演奏なのである。グレインジャー本人に是非ともこれを聴かせたかった。
ともあれ、永年にわたり不当にも等閑視され続け、近代音楽史に居場所のなかったグレインジャーの芸術は、20世紀末の数年間に奇蹟的な復活を遂げた。冒頭で「不死鳥のように甦った」と書いたのは誇張ではないのである。
20世紀が最後を迎える年の秋、
シドニー・オリンピックの開会式の実況中継をTVで眺めていて心臓が止まりそうになった。2000年9月15日のことだ。
到着した聖火を掲げた最終ランナーが巨大な輪環に着火する。UFOのような不思議な円盤が炎を上げながら、競技場の斜面をゆるゆると上昇していく。式典のクライマックスだ。誰もが息を呑んで見つめる。
そのときだった。グレインジャーの「
戦士たち」の壮大な音楽がなんの前触れもなく高らかに鳴り響いたのである(
→この映像の01'42"以降)。
今日はそのパーシー・グレインジャーが世を去ってちょうど五十年目の命日である。