自作であれ、民謡編曲であれ、グレインジャーはピアノ、室内楽、合唱、管弦楽、吹奏楽とさまざまな編成による幾つものヴァージョンを書き遺した。それも終生にわたり、何度も編曲を繰り返したのである。そこで試された和声や音色についての果敢な実験こそは20世紀音楽における彼の独創性の一端を示している。
今日これから聴くアルバムは彼がいろいろな形で試みた打楽器アンサンブルでの編曲と演奏に光を当てたユニークな内容である。オーストラリアでひっそりと出され、わが国では殆ど見かけないCDなので、入手はちょっと難しいかもしれない。小生はいつだったか、宮澤淳一さんから「お楽しみいただければ幸いです」とのメモと共にこれを頂戴した。確かメルボルン土産だったと記憶する。
"Percy Grainger: Tuneful Percussion"
グレインジャー:
シェパーズ・ヘイ!
ガムラン・アンクルン(Berong pengetjet)*
アイルランド、デリー州の調べ
孤独な砂漠の男が陽気な部族のテントを見つける*
楽しい鐘の音 (バッハ曲「羊は安らかに草を食み」)
東洋風間奏曲*
月を欲しいと泣く (エラ・グレインジャー曲)*
到着ホームの鼻歌
パゴダ (ドビュッシー曲「版画」より)*
Bahariyale V. Palaniyandi*
船乗りの歌*
ロンドン橋 (バルフォア・ガーディナー曲)*
鐘の谷 (ラヴェル曲「鏡」より)*
スカール・ガドゥン(Sekar Gadung)*
橋の下で*
カントリー・ガーデンズ
打楽器/
ウーフ!(Woof!)=クリスティン・ベイカー+マシュー・ゴダード+スティーヴン・ハーディ+トレイシー・パットン
ピアノ/マーク・ヌープ
指揮/マイケル・リヒノフスキー
メゾソプラノ/カーステン・ボーレマ
バス/クリフォード・プランプトン
コントラバス/シルヴィア・ホスキング
弦楽/リンデン弦楽四重奏団
フルート、ピッコロ/ウェンディ・クラーク
ハープ/メアリー・アンダソン
テノール/ヴォーン・マッカリー
合唱/オーモンド・カレッジ合唱団員
1999年5~11月、イーグルモント(オーストラリア)、ムーヴ・レコード
Move MD 3222 (2000)
グレインジャーは腕利きのピアニストという表向きの顔の背後に、西洋近代音楽を根底から覆そうと目論む革命家の夢想を隠し持っていた。そのことは彼に関するあらゆる解説文中に説かれているのだが、グレインジャーの遺した作品のなかにそうした革新性を聴きとることは容易ではない。
このアルバムはグレインジャーが密かに夢見た「あらゆる束縛から解き放たれた自由自在な音楽(フリー・ミュージック)」がいかなるものであったかを示唆する、殆ど唯一のアンソロジーとして極めて重要な意味をもつ。
「ピアノこそが音楽だと君が思い込んでいるのはどうしてなんだい? いずれ20世紀末になると人々はアフリカ音楽に耳を傾けることになろう…。そして踊っている筈だ、アフリカ音楽を…、アジアのガムランを。子供たち、未開人、大自然そのもの。打楽器こそが本能の音楽だ。音楽は本能との結びつきを失ってはならないのだ」
本CDのブックレットの裏表紙に掲げられたグレインジャーの言葉である。ただし正確な引用ではなく、伝記映画『
パッション Passion』(1999)のなかで彼が口にする台詞なのだが、いかにもグレインジャーらしい端的な物言いだ。彼にとって打楽器こそが音楽の本質を顕わし、その未来を切り拓く最も有効な手段だったのである。
ここでグレインジャーの意味する「打楽器」とは耳を聾する衝撃音の畳みかけとはまるきり別のものだ。彼の好んだ言い回しによるなら、"tuneful percussion" すなわち「旋律な(響きの美しい)パーカッション」こそが目指すべき打楽器音楽のあり方ということになろうか。
グレインジャーが憧れたのはジャワやバリの
ガムラン音楽だった。各種の鉄琴、銅鑼、竹製の打楽器を叩いた玄妙にして繊細な響きの重層のなかに、彼は目指すべき新音楽の萌芽を嗅ぎ取ったのである。
このアルバムにはメルボルンのグレインジャー博物館に遺された未刊行の手稿譜に基づくガムラン音楽の編曲(ガムラン・アンクルン、スカール・ガドゥン)を聴くと、彼がガムランの打楽器のこまやかな調べに如何に魅せられていたかが彷彿とする。
こうした志向を抱いた西洋の作曲家はグレインジャーが初めてではない。1889年にパリの万国博でジャワやカンボジアの民俗音楽に深く魅了された
ドビュッシーは、そのパーカッシヴな調べを後年のピアノ曲「
パゴダ」で追想している。その顰に倣ったグレインジャーはドビュッシーの「パゴダ」を更に tuneful percussion のアンサンブル用に編曲してみせた。ドビュッシーの耳が捉えたガムランの響きをもう一度ガムランに戻そうとする実に興味深い試みである。その編曲を本CDで初めて耳にすることができたのは大いなる収穫といえよう。
録音に際してはグレインジャー博物館の全面的な協力のもと、作曲家自身が自らの演奏用に拵えた特製のマリンバや鐘(staff bells)が用いられた由。殆どがグレインジャー自身によるオリジナル編曲(少なくとも *印のものがそうだと察しられる)による正統的な演奏である。グレインジャーが夢想した「新しい自在な」音楽がどのようなものであったかを想像するうえで聴き逃せないディスク。