グレインジャーの楽曲の大半は二、三分程度のささやかな小品である。演奏に一時間以上を要する大規模な交響曲も、大勢のスタッフ、キャストを擁するオペラも、彼の眼中には全くなかった。しばしば彼が群小作曲家と看做され、20世紀音楽史から無視されてきた理由の一端はそこにあろう。
もっとも彼の音楽的な興味は生涯にわたって驚くほど一貫していた。英国や北欧の民謡を収集・編曲する作業は飽くことなく営々と続いており、しかも彼はそうした編曲作品に「英国民謡編曲」第何番、などと通し番号をふって整理していた。グレインジャーの音楽を評価するには、あまた存在する個々の小品ではなく、それらを包含する集合体としての全貌を知る必要がある。真実は部分にも全体にも宿るのだ。
もうひとつ、グレインジャーが永きにわたり強い愛着と情熱を注いだ対象として、英国の作家
ラドヤード・キップリングの作品、とりわけ代表作『
ジャングル・ブック』(1894/95)を挙げることができる。
グレインジャーは1897年、十五歳のとき父から贈られた『ジャングル・ブック』に魅了され、それを期に「創作の基本を愛国主義と人種的自覚に置く作曲家となり、以来ずっとそうあり続けている」と自ら記している。ジョン・バードの評伝から引用すると、
グレインジャーはそれからというもの、折りにふれてキップリングの詩句に作曲する作業に打ち込んだ。彼は絶えず加筆し、改訂を施していたので、1947年になってそれら十一曲が纏まった形で出版されると、その音楽は彼の創作活動における全人生を包含することになった。ちょうどヴォーン・ウィリアムズの歌曲集「旅の歌」がそうであるのと同様である。
重宝なことに、十一曲からなるグレインジャーの「ジャングル・ブック」連作は一枚のCDアルバムに纏めて収録された。勿論これが世界初録音である。
"Grainger: Jangle Book"
グレインジャー:
シャロー・ブラウン
「ジャングル・ブック」連作
1. 石の落下
2. ジャングルの朝の歌
3. ジャングルの夜の歌
4. イヌイット
5. ルカノンの岸辺で
6. 赤犬
7. ピオラ狩
8. シオニ・パックの狩の歌
9. 虎よ、虎よ!
10. 一人息子
11 人々に抗うモーグリの歌
愛よ、さらば
愛のために死んで
愛の力
競い合う兄弟
六人の公爵が釣りに出かけると
タイムの小枝
柳よ柳
退場賛美歌
マクスウェル卿のおやすみなさい
三羽の鴉
シンダンドの走り
ある朝早く
ハー・ダイアルの愛の歌
ジャーマニーへのわが愛
ソプラノ/リビー・クラブトリー
テノール/ジョン・マーク・エインズリー
バリトン/デイヴィッド・ウィルソン=ジョンソン
スティーヴン・レイトン指揮
ポリフォニー、ポリフォニー管弦楽団
1996年1月18~20日、録音場所不明
Hyperion CDA 66863 (1996)
昨今の植民地主義以降の批評に晒されてキップリングはさっぱり人気が失せてしまったが、戦前には世界中で愛好された由。そういえば1930年前後のロシア絵本にも『リッキ・ティッキ・タヴィ』などのキップリングものがあったし、日本でも早くに翻訳で読まれていた(『ジャングル・ブック』は勿論、『キップリング詩集』『印度の放浪児(=キム)』『どうしてそんなに物語』『王様になりたい男』『印度物語』など)。
音楽の世界でもグレインジャーと同時代に
シャルル・ケックランが『ジャングル・ブック』に想を得た連作交響詩を作曲していた(「バンダール=ログ」が知られていよう)。1942年の劇映画化(ゾルターン・コルダ監督)に際しては
ミクローシュ・ロージャ(ミクロス・ローザ)が音楽を担当し、のちに「キップリングのジャングル・ブック」組曲として本人の指揮でLPにもなった(1957)。
子供の頃に読んだきりなので『ジャングル・ブック』の細部を忘れてしまった。そのため、グレインジャーの選んだ詩句が原作のどの箇所なのか、とんと思い出せないながら、どの曲も精妙なハーモニーに彩られた繊細で手の込んだ合唱曲だ。うっとり聴き惚れる。冒頭に船乗りの歌「
シャロー・ブラウン」を配して、遙か異国へと誘い、「ジャングル・ブック」連作を経て、更にグレインジャーの珠玉の合唱作品群へと導くというアルバム構成が素晴らしい。合唱版「
ある朝早く」が聴けるのも嬉しい。
英国の合唱団「ポリフォニー」はこれ以前にもグレインジャーとグリーグの合唱作品を組み合わせた名アルバム "At Twilight" を制作しており(「
アイルランド、デリー州の調べ」「
ブリッグ・フェア」など)、グレインジャーとの親和性は申し分ない。どちらのアルバムも美しさの極みである。