フランス近代の画家・作曲家の生涯を繙くと、二十代の修業時代に「
ローマ賞 Prix de Rome」に何度も挑戦する話にしばしば出くわす。古典古代とルネサンス美術の故地であるから美術家たちが憧れるのは当然として、作曲家にとってのローマにどれほどの意味があったというのだろう。
お仕着せのテクストによる大仰なカンタータを拵えては落選の憂き目をみる。作曲家の登龍門なのでこれを避けて通れないのである。
ベルリオーズも
サン=サーンスも、
ドビュッシーも
ラヴェルもこれを得ようと苦心惨憺している。ようやく入選して留学を果たした彼や彼女は、ローマ郊外のメディチ家の旧別荘に住居をあてがわれ、数年にわたる退屈な勉学に励む。なんという時代錯誤であろう。あまりにも古めかしい陋習弊風が信じがたいことに1968年まで続いたのだ。学生たちが革命を起こそうと企てたのもわかる気がする。
ドビュッシーは三度目の挑戦でこれを手にし、ラヴェルは五たび挑んだ挙句、年齢制限で断念を余儀なくされた。どんな評伝にも出てくる有名な逸話である。
だが実際に彼らが応募した作品については、与えられた課題に「しぶしぶ」附曲しただけの若書きだというので、従来あまり研究されず等閑視されてきた。まあ当然であろう。だが作曲家がここから出発したのもまた紛れもない事実なのである。
昨夏こんな珍しいディスクを発見した。ドビュッシーの「ローマ賞」関連作のすべてを集めたという労作アルバムである。
"Claude Debussy et le prix de Rome"
ドビュッシー:
カンタータ「剣闘士 Le Gladiateur」(1883)*
「祈禱 Invocation」(1883)
カンタータ「選ばれし乙女 La Damoiselle élue」(1888)
交響組曲「春 Printemps」(1887)
カンタータ「春 Le Printemps」(1884)
「春の挨拶 Salut Printemps」(1882)
カンタータ「放蕩息子 L'Enfant prodigue」(1884)*
エルヴェ・ニケ指揮
(1)
ソプラノ/ギレーヌ・ジラーヌ
テノール/ベルナール・リクテール
バス/アラン・ビュエ
ブリュッセル・フィルハーモニー管弦楽団
(2)
テノール/ベルナール・リクテール
ピアノ/マリー=ジョゼフ・ジュデ、ジャン=フランソワ・エセール
フランドル放送合唱団
(3)
ソプラノ/ギレーヌ・ジラーヌ
メゾソプラノ/ソフィ・マリレー
ピアノ/ジャン=フランソワ・エセール
フランドル放送合唱団
(4)
ピアノ/マリー=ジョゼフ・ジュデ、ジャン=フランソワ・エセール
フランドル放送合唱団
(5)(6)
ソプラノ/ギレーヌ・ジラーヌ
ピアノ/マリー=ジョゼフ・ジュデ、ジャン=フランソワ・エセール
フランドル放送合唱団
(7)
ソプラノ/ギレーヌ・ジラーヌ
テノール/ベルナール・リクテール
バス/アラン・ビュエ
ブリュッセル・フィルハーモニー管弦楽団
2009年6月25、26日、ヘフェルレー(ベルギー)、イエズス会聖堂
2009年7月1~3日、ブリュッセル、モネー劇場、サル・フィオッコ*
Glossa GES 922206 (2009)
(まだ聴きかけ)