1970年前後にクラシカル音楽に開眼し、そのまま殆ど成長しなかった小生の哀れな聴覚にとって、その時点で顧みなかった作曲家は四十年後も未だに馴染めない存在であり続けている。情けないことだが、これが悲しい現実だ。
それではならじとわが身を反省し、時には苦手な(多くは「聴かず嫌い」の)音楽にも食指を伸ばす。今夜もそんな思いから
ボフスラフ・マルチヌーの未知の楽曲にしみじみ虚心坦懐に耳を傾ける。
チェコスロヴァキアのマルチヌー(当時はマルティヌーと呼び慣わした)は、ポーランドのタンスマンや亡命ロシア人のチェレプニン同様、「名前は知ってる」程度の縁遠い存在だった。レコードで聴ける曲も、チェンバロ協奏曲といくつかの室内楽、あとは外盤で交響曲のどれかと、管弦楽曲「ピエロ・デッラ・フランチェスカのフレスコ画」があったくらいではなかったか。コスモポリットとして生き、亡命先で歿したマルチヌーを社会主義政権が疎んじたこと、シェーンベルクとストラヴィンスキーを父祖とする20世紀音楽における傍流もしくは亜流と看做されたことが軽視の要因だったと思う。
マルチヌー:
二群の弦楽合奏、ピアノとティンパニのための二重協奏曲*(1938)
バレエ組曲『シュパリーチェク』**(1931~32)
ピアノ/イジー・スコヴァイスカ*、エヴァ・ポダジロヴァー**
チャールズ・マッケラス卿指揮
ブルノ国立フィルハーモニー管弦楽団
1990年10月4~10日、ブルノ
Conifer CDCF 202 (1991)
最初の「
二重協奏曲」は「二群の弦楽合奏、ピアノとティンパニのための」という肩書をみただけで、先行するバルトークの「弦楽器、打楽器、チェレスタのための音楽」(1937)と関係がありそうだと察しられよう。それもその筈、どちらもスイスのパトロン指揮者
パウル・ザッハーの委嘱作なのである。聴いてみればもう一目瞭然だ。編成の類似ばかりか、錯綜する響きが孕む緊張感、全体を貫くただならぬ切迫した雰囲気までそっくりなのだ。更に附言するなら、この曲が完成した1938年9月29日とは、かの「ミュンヘン協定」締結と同日にほかならず、これによりマルチヌーの祖国チェコスロヴァキアの独立は風前の灯と化す。
二曲目のバレエ『
シュパリーチェク Špalíček』は寡聞にして全く未知の作品だ。題名は伝承童話・童謡の類いを集めた本のことで、英語で言うと "chap-books" にあたる由(ライナーノーツの受け売り)。プロットらしいプロットはなく、チェコ人にはお馴染の童話キャラクターが次々に登場するらしい。初演は1933年9月19日、プラハ国立劇場。パリ在住の作曲家が故郷に錦を飾った作品ということか。
こちらのほうはなんというか、賑やかで多彩な、ボヘミア色も満載で愉しい楽曲である。先程の協奏曲が求心的なら、こちらは(いい意味で)拡散的な音楽。元のバレエは声楽入りである由、全曲盤もあるそうなので、いずれ聴いてみたい。
どちらの演奏も凄い表出力に目を瞠る。
マッケラス卿のマルチヌーは天下一品だ。