昨夕は地元での所用をどうにか終え、急ぎ足で電車に飛び乗った。旧友たちの新年会がある。約束の七時半にどうにか間に合いそうだ。
有楽町駅前でちょっと三省堂書店に立ち寄ったあと、泰明小学校の脇をすり抜け、高速道路に沿って小走りに進む。道路の下に鰻の寝床さながら店がずらり並んで「
コリドー街」と称するのは昔と同じだが、かつてあった洒落たブティックや画廊や輸入レコード店は悉く消滅し、賑やかな飲食店が軒を連ねる。ただし古くからここにあったドイツ料理の「アルテリーベ」やエスニックの老舗「インドネシア・ラヤ」は姿を消し、今様の居酒屋ばかりが幅をきかせている。時代は変わったのだ。
今日の行き先は「
土風炉」といい、まさしくその種の店の典型だ。寒ブリ鍋コース、飲み放題で四千円だというのだから文句はないのだが。
定刻きっかりに暖簾を潜り、教えられた個室の扉を開くと、すでに仲間たちはあらかた顔を揃えている。
Boe、
しゅん、
おらが、
イケチン、
宮崎、
こいぶー、
小生、それに一時間ほど経ってから
あっこも登場したので総計八名。予定された
黄土が風邪をこじらせ、
のりが急な仕事で欠席したのは残念だが、年末の蕎麦会の五名に較べればかなりの盛況ぶりといえよう。
このところ途絶えがちな
女性陣の参加が二名も得られたのが何よりも嬉しく、また
全員が五十代で横一線に並んだのも今回が初めてである(最年少が五十歳。ただし二年後には小生が六十代に突入だ…)。
お目当ての寒鰤鍋や刺身盛り合わせもさることながら、飲み放題というのに惹かれて酒量がいつにも増して増大する。それもかなりのハイペースだ。下戸だとばかり思っていた
こいぶー君までが呑んでいるのに目を瞠る。なんでも今日は東京に宿をとるので群馬まで帰らずともいいのだという。
例によって近況報告と昔話が半々の談論風発なのだが、いつも以上に1970年代の回顧談に花が咲くのは、勿論われわれのサイト「
荻大ノート」(
→ここ)がスタートした故である。誰もがその寄稿者であり読者でもあるからだ。
こともなげに「林さんのパックの放送第一回目(1970年5月)を聴いた」と述懐する者もあれば、「『文芸坐オールナイトを観る会』に参加した」と思い出を語り出す者もいる。「番組復活を求める嘆願署名をTBSに提出したとき、自分もその場にいた」との重大証言やら、「ユーミンに描いてもらった(自分の)似顔絵を大切にしている」という羨ましい自慢話まで飛び出した。
どれもこれも今となっては貴重な歴史の一駒に違いない。サイトのアーカイヴ担当者である小生は思わず、「いずれ順番に全員からインタヴューをとるからね!」と皆に約束した。各人の断片的な回想を繋ぎ合わせれば、三十七年前のジグソーパズルの全体像が浮かび上がるに違いない。そう確信できた一夜だった。
予約した制限時間の十時半ぎりぎりまで粘って「土風炉」前でいったん散会したあと、半数の者で近くの居酒屋「
八起(やおき)」で呑み直す。ここでも大いに気焔をあげた筈なのだが、何をしゃべったのやら、さっぱり記憶にない…。
Boe君は月末まで東京にいるらしいので、もう一度その間に逢う機会がもてそうだ。