昨年末NHK・BSで実に興味深いドキュメンタリーを三回連続で放映していた。題してBS特集「
ペーパープリントが語る 100年前のアメリカ」。
(口上)
エジソンが動く映像を発明した19世紀末から撮影された映像が「ペーパープリントコレクション」に大量に保管されていた。映画の誕生を秘蔵映像で綴る映像史ドキュメント。
発明王エジソンが動く映像を作り出したのは、19世紀末。その直後から撮影された3000タイトルもの映像が、紙に転写されることで、アメリカ議会図書館に保存されてきた。この「ペーパープリントコレクション」から厳選した秘蔵映像を3回シリーズで一挙に放送。初めて「動く映像」を手にした人々は何を撮影したのか、そして動く映像に何を求めたのか。100余年前のアメリカの姿を生き生きと映し出す映像史ドキュメント。
全三回のうち一回目を見逃してしまい残念がっていたところ、幸いにも今朝十一時から再放送があり、三回分ぶっ通しで観ることができた。
映画の発明者を
トマス・アルヴァ・エディソンだと言ってしまえるほど歴史は単純ではない。彼は当初は「覗き眼鏡」形式のキネトスコープに力を注ぎ、映写による劇場公開には消極的だったからだ。もっとも数年後に非を悟ったエディソンは、投影式のヴァイタスコープの権利を手にし、自らの発明として喧伝し普及に努めた。
早くから知的所有権に目覚めていた彼は、撮影機や映写機などハードの特許権を取得するばかりでなく、自社で制作した個々の映画作品、すなわちソフトについても著作権申請も怠らなかった。ただし当時の米国法規では映画フィルムの著作権がまだ認められなかったため、エディソン社ではフィルムのすべての駒を印画紙に密着プリントして、長大なロール状の連続写真として著作権申請を行ったのである。この申請方式は初期の1890年代から(映画そのものの著作権が認められた)1912年まで続いたため、エジソン社が制作・配給にあたった夥しい数の映画が巻紙状の「
ペーパープリント」として奇蹟的に後世に残された。
周知のとおり、黎明期の映画は消耗品と看做されて保存が顧みられず、フィルムの材質が脆弱で可燃性だったことも手伝って、作品の大部分は早くに消滅してしまった。その意味で、権利保護の目的からとはいえ、エディソンが映画を紙に焼き付けてくれた功績は計り知れないのである。
ワシントンの
議会図書館(エディソンの著作権申請先がここであった)に残された三千本のペーパープリントはすべて新たにひと駒ひと駒フィルムに焼きつけられ、現在は映画として鑑賞することが可能である。番組ではそのなかから特に興味深いものを選りすぐって紹介している。
最初期にエディソンが試作したのは、男がくしゃみをする顔を正面から撮っただけという、僅か数秒間の他愛のないリールだった。こんなものでも映像が動くこと自体が面白かったのだろう。
そこから先の展開は目覚ましい。マンハッタン市街の賑わい、完成直後の自由の女神像、摩天楼の建設現場、エリス島への移民の到着風景など、19世紀末から20世紀初頭にかけてのニューヨークの姿が生々しく映し出される。
エディソン社のキャメラマンはニューヨークを離れて、ナイアガラ瀑布へ、イエローストーンへ、西部の鉄道建設現場へ、バッファローの汎米博覧会へ、地震に見舞われたサンフランシスコへと赴き、そして遂には極東日本にまで到達して明治期の東京・横浜・京都の賑わいをつぶさに記録している。動くもの、珍しいものなら何でも撮ってやろうという好奇心と意気込みが素晴らしい。そしてそれが商売になったのだ。
エディソンは自らの研究所内に小さな撮影スタジオまで建設した。人気者の芸人の演しものや、ちょっとした寸劇などはここで充分に撮影できた。番組では今も残るその黒塗りの素朴なスタジオが紹介される。窓がない代わりに天井が大きく開くその奇妙な建物は「ブラック・マリア」=囚人護送車と呼ばれていた由。太陽光の移動に合わせて、建物全体がぐるりと回転する仕掛けになっているのには驚かされる。
今日の記録映画と劇映画の始祖というべき夥しい映像がエディソン社から送り出されたあと、真の意味で「映画的」と呼びうる語法と演出を備えた作品が生まれる。「最初の映画監督」
エドウィン・S・ポーターと
D・W・グリフィスの出現である。ただし、そうなると映画はもはやニューヨークの地に留まっておれず、新天地ハリウッドを目指すことになる──というところでこの興味深いドキュメンタリーは幕を閉じる。