昨日は吉田秀和さんの新著『
永遠の故郷 夕映』を読み耽っていた。
ただし変則的な読み方をした。冒頭から章を追うのでなく、第六章「シューベルト頌」から始めて、そこから一連のシューベルトの歌曲の章を続けざまに読み進んだあと、最終章だけを残して冒頭へ戻り、ベートーヴェン、シューマン、ラヴェルと来て、最後に末尾の「菩提樹」の章をじっくり味読した。
どの章も音楽との「附かず離れず」具合がなんとも絶妙で、ときには思い切って個人的な回想、それも一見その歌曲とどう係わるのか見当もつかないようなエピソードが長々と語られる。それが不意に「歌」の話に繋がるときの語り口の巧み、というか文章の妙に唸ってしまう。
雑誌連載時に未読だった章で最も驚かされたのは、シューベルトの諸章のうちの「《
春を信じて》」という歌曲についての文章。
その人は有名な音楽批評家の奥さんだった。年のころは、そう、五十代から六十代のはじめにかけて、といったところ。もっとも、私の彼ら夫妻とのつきあいは二十年以上続いたことだから、一口で何歳とはきめられない。彼女のことで、今もいちばんよく覚えているのはそのころのことだというわけだ。はじめて会った時の彼女は四十代に入ったかどうかというところだったろう。北欧の女性としてはやや小柄の作りだった。ブロンドから銀髪に移り変ってゆく金髪を男の子みたいにごく短かく刈った頭部の中で、愛想の良い頬笑み、それからキラキラよく光る眼が強く印象に残った。瞳の色? そう、この間から考えているのだが、たしか濃い灰色だった、と思う。それに身ごなしはきびきびしていて、歩き方もきれいだった。夫婦揃って向う方からやってくると、まず言葉をかけてくるのは彼の方だったが、その前に私の眼はつい奥さんの方にいってしまう。両脚をきれいに揃えて運ぶその姿からは、いかにも生きて動いている存在という感じが強く放射されてくるのだった。
ちょっと長く引いたが、これが冒頭の一節。いきなり惹き込まれるでしょう?
この「有名な音楽批評家」が誰であるのは明らかだろう。吉田さんがドイツで親交を深めた批評家というとまず
ヴィル・グローマンの名が思い浮かぶけれど、あちらはクレーやカンディンスキーを専門とする美術批評家であるから、音楽批評家といえば
ハンス・ハインツ・シュトゥッケンシュミット Hans Heinz Stuckenschmidt(1901~1988)とみて間違いあるまい。実際、彼の重要な著作のいくつかは、ほかならぬ吉田さんの手で邦訳されている。
この友人夫妻はどちらもバツイチ同士だった。
[…] 彼らの結婚はちょっとした話題になったものだった。二人とも再婚者だったが、その時彼にはライヴァルが二人いた。それも特別手剛(てごわ)いもので、一人はドイツ有数の大出版社の社長さん。もう一人は戦後ヨーロッパの社会思想と芸術哲学の分野で華々しい活躍をした大家。こういう二人を抑えて、彼女を射とめるのに成功するのは簡単ではなかったろう。と私は思うけれど、詳しくは知らない。[…]
ほほう。そのふたりの恋敵のうち前者の「大出版社の社長さん」は誰かわからないが、後者はどうみても
テオドール・アドルノではないのか。吉田さんは文中で注意深く個人名を伏せているが、この書きっぷりはそう示唆していよう。
彼女はメゾソプラノの歌手として活躍、両大戦間にはかなり知られた存在だった由。
彼女は若い時は声楽家として知られ、ステージにも立っていたらしい。それもアルノルト・シェーンベルク(Arnold Schönberg 一八七四─一九五一)をとりまく若い前衛音楽家たちの仲間の一人として生き、戦争中は、シェーンベルクの自筆の楽譜をリュックサックに入れて、戦禍を避けて逃げまわり、貴重な作品を命がけで救ったという話を、きかされた覚えがある。戦争でひどい目にあったのは私の友人もそうで、彼は若くして世に出たが、ナチ政権になって執筆停止を喰(くら)い、ドイツからプラハに亡命したが、そこもナチに占領され、軍隊に編入されて、ずいぶん苦労した。そのことは彼の自伝に書いてある。
なるほど、奥さんもまたシェーンベルクゆかりの前衛音楽の担い手だったのだ。因みに小生が「有名な音楽批評家」である「私の友人」がシュトゥッケンシュミットその人だと確信したのは、戦時下の経歴を記した上の一節からである。
ある年の早春、吉田さん夫妻はシュトゥッケンシュミット夫妻と昼食を共にした。ベルリンのとあるレストランで中庭のテーブルを囲んでいると、食事を済ませた彼女がいきなり小声で歌い出した。それがシューベルトの「
春を信じて Frühlingsglaube」だったのだという。
私たち三人、不意を食(く)った形で、黙ってきいていた。彼女は本当に軽く、口の中でそっと転(ころ)がすようにして、歌った。
"さあ、今こそは、すべてが全部変るべき時だ"
この歌をきいていて、私はどうしてこうなったのか、その裏に何かがあるのかなど穿鑿(せんさく)する気には全くなれず、ただ「音楽」をきき、つい間近まで来ている「春」を信じる気持を感じていた。
また別のあるとき、シュトラウスの『アラベッラ』を聴きにいった歌劇場で、幕間にロビーを歩いていると、吉田さんの耳許でアリアの一節を囁くように歌う声がした。
いつの間にか、奥さんがそばに来ていて、片手にシャンペンのグラスを掲げ、例のよく光る眼許にほほ笑みを浮べながら、小声で歌いだしたのだ。
"Als ein Gott kam jeder gegangen…"
「男は初めは皆それぞれ、神様みたいにやって来て…」。『ナクソス島のアリアドネ』のなかでツェルビネッタが唄う長大なアリアの一節である。まるで謎かけだ。
奥さんはこのアリアのやたらむずかしいところを歌ったわけではなく、ただ始めの一節を囁くようにして歌ったのだが、こちらはただお手上げ。といっても、このオペラ、ことにこのアリアは私も大好きなので、ホフマンスタールのテクストのあちこちはうろ覚えに頭に入っている。黙っているのも癪だから、少し呟いた。"Lieber Gott, wenn du wirklich wolltest, daß wir ihnen widerstehen sollten, warum hast du sie so verschieden geschaffen?" (神様、かりそめにも、私たちが男には抵抗しなければならないとお考えだったら、なぜ、男をみんなこんなに違うようおつくりになりましたの?)
私は何とかもごもご返事ができて、ホッとするとともにいっぱい冷汗をかいた。
なんだか『枕草子』にでも出てきそうな平安貴族の恋歌の遣り取りみたい。「貴方だったら、この歌にどう返歌するのかしら」とでもいったふうに。
これは果たしてコケティッシュな含意を秘めた誘いだったのか。
どこかチェーホフの掌篇を思わせるこの物語には、予期せぬ痛ましい結末が待ち受けているのだが、それについてはめいめい読んでいただくことにしよう。