クリスマスの音楽といえばなんといっても『
胡桃割り人形』である。
E・T・A・ホフマンの原作は子供の頃からのロングタイム・フェイヴァリットである。講談社の『世界童話文学全集』第七巻「ドイツ童話集」(1960)所収の「
くるみわりにんぎょうとねずみのおうさま」は小生が初めて読んで魅せられた長編小説にほかならない(
→「クリスマス・イヴに読むべきお話」)。
クリスマス・イヴにこれを夢中で読みながら小さな電蓄でチャイコフスキーの組曲の抜粋をかけるのが、小学生時代で唯一のクラシカル音楽体験だった。何故かこのドーナツ盤だけがぽつんと我が家にあったのである。
ユージン・オーマンディの指揮だった(
→「クリスマスの思い出」)。
やはりこの曲を聴かないと、どうにもクリスマスが締め括れない。
プロコフィエフ:
バレエ組曲『ロミオとジュリエット』第二番
チャイコフスキー:
バレエ音楽『胡桃割り人形』抜粋
エヴゲニー・ムラヴィンスキー指揮
レニングラード・フィルハーモニー交響楽団
1981年12月30日、31日、レニングラード、フィルハーモニー大ホール(実況)
Philips 420 483-2 (1990)
ムラヴィンスキーのディスクをかけるのはいつも躊躇してしまう。壮絶だった実演の印象を薄れさせたくないからだ。ここに収録された二曲とも東京文化会館で聴いて震撼させられた。それでもう充分なのだが、どんな演奏だったか、人から尋ねられると、このCDを奨めるほかに説明のしようがない。
『
ロミオとジュリエット』は第二組曲から第四曲の「踊り」を省いた六曲編成。60年代以降のムラヴィンスキーは常にこの形で演奏した。このバレエ音楽の悲劇性を余すところなく表出した峻厳な演奏。それでいて、そこはかとない香気や抒情味にも欠けていない。
ムラヴィンスキーはプロコフィエフについては専らこのバレエ組曲と、自ら初演した第六交響曲だけを晩年に至るまで偏愛して繰り返し演奏した。どちらも底知れない悲劇性を宿した深遠な音楽だと理解したからであろう。
そして『
胡桃割り人形』。マリインスキー劇場で修練を重ねたムラヴィンスキーにとって、現場体験を通じ自家薬籠中の曲となっていた筈だが、ディヴェルティスマン風に各国の踊りを連ね「花のワルツ」で締め括る従来の組曲版にはどうにも満足できなかったとおぼしい。
そこで彼は新たに、人形と鼠の真夜中の戦闘から夢幻的な「雪のワルツ」へ、高雅にして壮大なパ・ド・ドゥーを経て堂々たる大団円へと至るドラマティックな組曲を独自に編み、専らこの形でのみ演奏した。
悲愴交響曲にも似たパセティックな集中はもはやバレエ音楽の域を遙かに超え、崇高の極みへと聴き手を拉し去る。心臓を鷲摑みにされるような凄まじい体験だ。
『胡桃割り人形』とはかくも気高い音楽だったのか。勿論そうだ、そうに決まっている、とムラヴィンスキーが自信をもって断言する声が聞こえてきそうな演奏である。