プーランクのモテットの美しさにいたく触発された。
同じくクリスマスに因んだフランス近代の声楽曲をもっと聴いてみたくなって、こんなディスクを棚の奥から引っ張り出してみた。
ピエルネ:
神秘劇 『ベツレヘムの子供たち』 (1907)
星/ジョスリーヌ・シャモナン
聖母/ハンナ・シェール
驢馬/ジャン=クロード・オルリアック
牡牛、羊飼、天の声/ジャン=マリー・フレモー
語り/ポール=エミール・デベール
ジャネット/ノラ・アムセレム
ニコラ/ラファエル・アザール
リュバン/ダフネ・クプファーシュタイン
ミシェル・ラセール・ド・ロゼル指揮
ラディオ・フランス少年少女合唱団
ラディオ・フランス・フィルハーモ二―管弦楽団
1987年12月10日、パリ、
ノートル=ダム=デュ=トラヴァーユ・ド・プレザンス聖堂(実況)
Erato Musifrance 245 008-2 (1990)
この
ガブリエル・ピエルネの神秘劇(ナレーション入りのオラトリオのようなもの)は殆ど世に知られていないけれど、心温まる素敵な児童合唱入りの管弦楽曲だ。荘厳な宗教音楽とは異なり、むしろクリスマスの子供会に相応しいような、ほのぼのと素朴で平明、親しみやすくメルヘン的な音楽なのである。
なにしろ驢馬や牡牛や羊飼が次々に登場して歌う。厳めしい祭壇画やフレスコ連作でなく、可愛らしい人形たちが降誕の場面を象る「プレゼピオ」や「クリッペ」の世界に近いといったらいいか。ガブリエル・リゴンの詞も、聖書の章句よりも『黄金伝説』のような民間伝承の説話から想を得ているらしい。
永くパリのコロンヌ管弦楽団の常任指揮者を務め、バレエ・リュスの第二回公演ではストラヴィンスキーのバレエ『火の鳥』の世界初演を振った人でもあるが、彼自身の作曲は至って穏健で、先進的な実験性は皆無。およそ20世紀初頭の前衛精神とは縁のない音楽なのだが、この『
ベツレヘムの子供たち』ではそうしたピエルネの古風な個性がむしろ奏功し、澄みきった童心の世界を繰り広げている。
オネゲル:
交響的黙劇「勝利のホラティウス」
チェロ協奏曲*
前奏曲、フーガと後奏曲
クリスマス・カンタータ** (1952~53)
チェロ/アルバン・ゲルハルト*
バリトン/ジェイムズ・ラザフォード**
ティエリー・フィッシャー指揮
BBCウェールズ・ナショナル管弦楽団・合唱団**
2008年2月20~23日、スウォンシー、ギルドホール、ブラングィン・ホール
2007年12月14日、カーディフ、セント・デイヴィッド・ホール(実況)**
Hyperion CDA67688 (2008)
それからほぼ半世紀を経た
アルテュール・オネゲルの作品では様相が一変する。その間に二度の戦禍があり、人類は大量殺戮、無差別爆撃、強制収容所と原爆投下を体験した。「
クリスマス・カンタータ」の冒頭で、沈鬱な静寂に包まれて合唱は「深い淵から私はそなたに哀願する、主よ、わが声に耳を傾け給え」と懇願し、苛烈な不協和音の炸裂とともに、「われらは虚しく、あてどなく踏み迷う。おゝ光明への道筋を示し給え」と悲痛な叫びをあげる。
ようやく微かな光明が兆し、児童合唱が静かに「汚れのない小枝が萌え出る」と歓びを歌うのはそれからである。そのあとはカンタータの歌詞がラテン語に加え、ときにフランス語、ときにドイツ語で歌われるのは国境を越えた平和の訪れを希う作曲者の切望の故だろう。スイス生まれでフランスを拠点としつつ、ドイツ音楽の伝統に棹さしたオネゲルならでは表明ともいえよう。
このアルバムではオネゲルのさまざまな時期の管弦楽作品を周到に配することで、作曲家の全貌を示そうとする企図が意欲的。その真摯な歩みの果てに、最後の作品である至高のカンタータが生み出されたことを実感させずにおかない。
ティエリー・フィッシャーの音楽づくりは激越と静穏のバランスが秀逸で申し分ない。両大戦間音楽を振らせて、現今の指揮者で彼に並ぶ者はいないのである。