やっと寒さにも馴れたところで倫敦滞在も残り少なくなってきた。もっとも今回の訪問における最大の目的が明日と明後日に控えているものだから、まだ気が抜けない。というか、むしろ今日までが前哨戦、明日からが本番という気でいる。
七時少し前に起床。軽く朝風呂に入ってそのまま寝床に戻ってTVを点ける。
BBCの定時ニュースは相変わらず雪害の話題と、学生デモの話題、それにウィキリークスをめぐる話題で終始している。些か食傷気味だなと思ったら、新作映画の紹介になり、
ピーター・ウィアー監督がスタジオにゲスト出演している。『ピクニック at ハンギング・ロック』『刑事ジョン・ブック 目撃者』『モスキート・コースト』…と旧作はいくつか観ているが、最近とんとご無沙汰している監督だ。
このたび封切られた新作は "The Way Back" といい、第二次大戦中のシベリアの強制収容所を舞台にした脱走物であるらしい。実話に基づく物語だといい、ポーランド人、米国人などさまざまな国籍の捕虜がスターリン時代の過酷な弾圧を逃れてインドへ逃れるというストーリーだそうだ(ちょっと不確かだが…)。日本でも封切られるだろうか。観てみたいものだ。
八時に食堂へ赴き、いつもより遅めの朝食を摂る。節約モードに戻って「大陸式」。飲物は今日は紅茶。シリアルとフルーツのシロップ漬けをお代わりする。
あらかた倫敦の美術館巡りは済ませたが、まだ
テイト・ブリテンに足を運んでいないことに気づく。最寄りの地下鉄ピムリコ駅からもやや離れた立地なのでどうしようか迷っていたのだが、バスを乗り継いで行ってみようと思い立つ。路線図を調べたら、どうやらウェストミンスターで乗り換えれば、すぐ近くまで行けそうだ。
外に出ると昨日と同じ曇天。寒さはさほどでもなさそうだ。喫煙所で一服を済ませていざ出発。まず西に少し歩いてガワー・ストリートにあるバス停「グージ・ストリート」へ。この界隈はすっかり馴染んでしまい旧知の場所さながら。ここから「24」番のピムリコ行きのバスに乗る。終点まで行って歩いてもいいのだが、それだと地下鉄で行くのと違わないので、ウェストミンスターで乗り換えることにする。
莫迦のひとつ憶えみたいだが、今日も二階の先頭席から街路見物。ガワー・ストリートからチャリング・クロス・ロードへと抜けたバスは、レスター・スクエア、トラファルガー・スクエアを経由し、威風堂々たるパーラメント・ストリートを暫く走るとウェストミンスターへ到着。ここで乗り換える。
ここは広大な四角い広場をなしていて、バス停もあちこちに分散しているので、乗り継ぐバスがどこに停まるかわからずにちょっとまごつく。観光客が織るような人の波となって大聖堂や国会議事堂を目指す。ここは倫敦屈指の観光地なのである(小生には殆ど用事のない場所なのだが)。
やっと探り当てたバス停から「87」番のウォンズワース行きに乗り込む。三つ目で降りるので二階には上がらず、左右の窓から景色を眺める。テムズ川沿いの公園にあるロダンの 《カレーの市民》 がちらと見えた。ほんの数分で目指す「ミルバンク=テイト・ブリテン」に到着。これは便利。美術館の真正面の停留所だ。
前回と前々回の訪倫時には来なかったので、訪れるのはここが「テイト・ブリテン」と名付けられた2000年に観たとき以来ではなかろうか。
正面玄関から入ろうとすると、係員が迂回して地下から入ってくれという。なんでもクリスマス・ツリーの搬入と展示をやっているので立ち入れないのだという。仕方なく地下に降りるとカフェがあったので、なんとなく珈琲を所望して喉を潤す。そこから階段を上がるといよいよ展示室だ。
特にこれといってお目当ての作品があるわけでないので、散策気分でさらりと通り過ぎるつもりでいたのだが、最初の部屋のウィリアム・ブレイクで早くも立ち止まってしまう。着彩版画の 《ニュートン》《ネブカドネザル》《慈悲》 など、奇妙奇天烈なイメージながら深く繊細な色彩に目を奪われる。あとは「第七室」の
ジョン・シンガー・サージェントの 《
カーネーション、リリー、リリー、ローズ》(
→これ)。日暮時の薄暗がりを提灯の光で際立たせるアイディアに唸ってしまう。いつ観ても心惹かれる。この絵は永年にわたるマイ・フェイヴァリットなのである。同じ画家の 《森の外れで制作するクロード・モネ》 も面白い絵だ。あとは彫刻で、アンリ・ゴーディエ=ブゼスカの小品 《ダンサー》 がいい。1913年という制作年が英国でのバレエ・リュス熱と時を同じくしているのも興味深い。
「第八室」全体がロシア出身の彫刻家
ナウム・ガボに宛てられているのにも吃驚。遺族から寄贈された膨大なコレクションの一部を展示したもので、プラスティックやナイロン糸などの素材を逸早く用いて「線的構成」なる透明彫刻を創案したパイオニアだ。彼はまたバレエ・リュスに係わった芸術家でもある。この部屋の展示はアトリエに残された制作用素材なども展示して、ガボの創作の秘密に迫ろうとする。優にひとつの展覧会にも匹敵する内容だ。これが観られただけでも、ここに来た甲斐があったというものだ。ところで、ガボって「英国美術」なの?
そのあと「第九室」ではホガースの 《愛犬のいる自画像》 やら、ミレイの 《オフィーリア》 やら、ウォーターハウスの 《シャロットの女》 やら、ウォッツの 《希望》 やら、エッグの(しょ~もない)三連作 《過去と現在》 やら、ハントの(これまたしょ~もない)《良心の覚醒》 などなど、要するに英国美術の「名作」の数々を見せつけられて、正直なところうんざり、辟易させられた。これほど自閉的で、普遍性のない美術を愛好するなんて、英国人はなんと風変わりな国民なのだろうか。
それ以降の20世紀美術の部屋は閉まっているところも多かったので、横目で見ながらささっと通過。折りから「ターナー賞」受賞作の展示もあったのだが、このエリアは有料だし、下馬評があまり芳しくないので、今回はパスした。なので、ヘップワースやベン・ニコルソン(何故かモンドリアンも)などの並ぶ「19室」を観たあとは、テイトの誇る(というか英国の誇る)ターナーの特集展示へ。
昔からターナーは大の苦手である。ここだけの話、小声で云うが、どこがいいのやら、さっぱりわからない。わからないながら、英国人が誇りに思う気持ちは承知しているから、なおのこと口籠ってしまう。
流石にテイト・ブリテンだけのことはある、初期の写実性の強い海戦場面から、中期の眩いヴェネツィア海景へ、更に後期の抽象絵画と見紛うばかりに光の横溢した幻想風景まで、全生涯をカヴァーする夥しい油彩画がずらりと並ぶ。しかも上階のアネックス展示で、ターナーの水彩画やスケッチ・ブック、版画類まで数多く展示しているものだから、これはもう有無を言わせぬ迫力である。殆ど感動してしまったといってよい。やっぱり大巨匠なのかも。
最後に立ち寄った売店ではナウム・ガボの絵葉書を何枚か手に取る。結局ここでの収穫はガボに尽きた。
二時間半ほど過ごして退去。美術館前で逆向きの「87」番のバスに乗り、元来た道をトラファルガー・スクエアまで引き返す。そこからレスター・スクエアまで歩き、ソーホーの中華街にふと足を向けた。よく目立つ「粥麺」の大看板に惹かれて「龍島粥麺小菜館」に入ってみる。美味しい店だと評判を聞かされていたからだ。ここでピータン粥と焼きソバを食する。確かに旨い。わざわざ来てみてよかった。
そのあと食後の運動とトイレ休憩を兼ね、三たび
ナショナル・ギャラリーへ。
泰西名画はあらかた観てしまったので、近代絵画のセクションを覗くと、これまでずっと閉まっていたフランス近代絵画の展示室が今日は開いている。ここを観よう。
スーラの「点描以前」の大作 《
アニエールの水浴》 を独り占め状態で心ゆくまで味わう。併せて同じ画家の点描小品の数々、更にはシニャック、レイセルベルヘ、アングラン、フィンチら後継者の点描作品とともに鑑賞できるのが嬉しい。昨日コートールドで観たスーラの印象もこき混ぜて愚考するに、点描技法とは即ちスーラの個人様式にほかならず、それこそ余人の追随を許さないものだった事実が歴然。
同じ部屋ではルノワールの佳品 《劇場にて》 や失敗作 《雨傘》、ピサロの風景画や庶民風俗画の優品の数々をたっぷり堪能。
隣室ではゴッホの向日葵や椅子の絵、セザンヌの「大水浴」の部分習作、ルソーの密林風景なども眺めるが、どれも今ひとつの印象なのは、連日のグルメ体験で小生の舌が奢ってしまったせいか。
最後の部屋では何枚ものドガ、それぞれ一枚だけのクリムトとハンマースホイを観る。倫敦で
ハンマースホイに再会できるとは思わなんだ(
→これ)。
今日の美術鑑賞はこれにて終了。レスター・スクエアの停留所から「29」番のウッド・グリーン行きバスでグージ・ストリートへ。そこからいつもの道を歩いてホテルに帰還。このあとちょっと午睡をむさぼる。
二時間後に目覚めると、外はもう真っ暗である。時計をみると五時半。今日もそろそろサウスバンクへいざ出陣だ。
勝手知ったるいつもの「188」番バスでラッセル・スクエアからいつもの街路をウォータールー・ブリッジへ。
階段を川べりに降りて早々とロイヤル・フェスティヴァル・ホールの建物へ。
付随する書肆フォイルズであれこれ本を物色するが購入はぐっとこらえる。レジ脇にいかにも丈夫そうな布製バッグがあったのでこれを買うことにした。あれこれ荷物が増えたので帰りの機内持ち込み用に重宝するだろうと考えたのだ。
そうこうするうち開場時間になった。延々と階段を上らされて五階(「レヴェル6」)まで辿り着く。途中でプログラム冊子を購める。先日のロンドン・フィルのに較べ随分と大判で分厚くて立派だ、と思いきや、何のことはない、この冬のシーズンの曲目解説を一冊に纏めただけの代物。なんだ手抜きではないのか?
つらつら思い返すに、
フィルハーモニア管弦楽団の実演に接するのは久方ぶりだ。前回(2008年5月)には聴きはぐってしまったので、ひょっとすると1999年6月以来ではなかろうか。あのときは
リチャード・ヒコックスの指揮でオール・エルガー・プロを聴いた。歌曲集「海の絵」で
アンネ・ソフィー・フォン・オッターの独唱が絶品だったなあ。そのヒコックスがもうこの世の人でないのだから世は無常である。
それにつけても、とプログラム冊子を繰りながら思う。フィルハーモニアの曲目編成は余りにも保守的ではないか。チャイコフスキーの「胡桃割り」組曲(ラザレフ指揮)、ホルストの「惑星」(ノリントン卿指揮)、シューマンの「第三」(ドホナーニ指揮)、ベートーヴェンの「第五」(同上)、ドビュッシーの「海」とラヴェルの「ラ・ヴァルス」(ドネーヴ指揮)、ドヴォジャークの「新世界」(服部譲ニ指揮)、シベリウスの「第五」(スザンナ・マルッキ指揮)と、泰西名曲のオンパレード、冒険心の欠片もありゃしない。これではどこかの国のオーケストラ顔負け。守勢に入っているのではないか。
今日の演目もその例外ではなさそうだ。
アンドリス・ネルソンス指揮
フィルハーモニア管弦楽団
トランペット/ホーカン・ハルデンベリエル Håkan Hardenberger
(曲目)
ベートーヴェン: 序曲「レオノーレ」第三番
ハイドン: トランペット協奏曲 変ホ長調
リヒャルト・シュトラウス: 交響詩「英雄の生涯」
どうです、なんだか食指が伸びない平板なプログラムでしょう。なので今夕の興味は久々耳にするPOの力量と、初めて接するラトヴィア人指揮者ネルソンスの手腕を確かめることに専ら注がれよう。
今日もわが座席は三階のバルコニー、「Cの42」である。十八ポンド(二千円強)なので文句はいえない。
ほどなく開演。意気軒昂な青年然としたネルソンスが足早に登場。
一曲目のベートーヴェンが鳴り始めた途端、LPOよりも一段上のアンサンブルであると実感。弦の厚みも、管の独奏も申し分ない。申し分ないのだが、この指揮者の解釈にはまるで新味がなく、予定調和に終始しているようで退屈だ。先日のLPOでユロフスキーがベートーヴェンのピアノ協奏曲の伴奏で新機軸を打ち出そうと努めたのに比して、ネルソンスの解釈は常識的な劇的ロマンティシズムの枠内に留まり、聴き手を触発する力を欠いている。
続くハイドンの協奏曲は誰もが知るあの名作であるが、生で聴くのは初めてかもしれない。スウェーデンの名手ハルデンベリエルは流石に巧いものだ。すべてのパッセージを軽々と吹きこなす。ちょっと吹き飛ばし気味なほどだ。目を瞠って聴き惚れているうちに全三楽章が須臾にして過ぎ去った。
盛大なアンコールに応えてハルデンベリエルはなんと三本ものトランペットを抱えて現れた。追加のオーケストラ奏者も何人か補填されたので、何か協奏的な作品をやるらしいと知れる。
すぐに独奏者からアナウンスがあり、
HKグルーバー作曲 "Three Mob Pieces" なる曲をやるのだという。ほお! グルーバーといえばアンサンブル・モデルンを指揮して忘れがたいワイルやアイスラーを録音した御仁、という程度の認識しかない小生である。その作曲は「フランケンシュタイン!!」位しか知らない。
曲は短い三楽章からなる協奏的小品で、それぞれB♭管、C管、ピッコロ・トランペットが奏される。難解さは欠片もなく、それぞれボサノヴァ、ジャズ、ロック風に仕立てられた軽妙な音楽だ(どうも聴き憶えがあると思ったら、上述の「フランケンシュタイン!!」CDの所収曲だった)。ハルデンベリエル鍾愛の曲らしく、実に易々と愉しげに吹奏した。むしろハイドンよりもこっちを演りたかったのではないか。
盛大な拍手が巻き起こり、客席から作曲者グルーバーが祝福に駆けつける一幕もあった。
ここで休憩。咽喉がからからに乾いたので一階下(「レヴェル5」)のバーで景気づけにウォッカを一飲。
後半の「英雄の生涯」は苦手な曲だ。「あらゆる事物は音楽で描写できる」という自信が過剰すぎるし、作曲者の自己顕示が時に鼻もちならないからだ。よほど秀逸な音楽性と強固な構築力のある指揮者(カラヤンのような、とまでは云わないまでも)でない限り、散漫で外面的で、うんざりする凡演に堕すのがオチであろう。
悲しいかな、その恐れはかなりの程度、的中してしまったといわねばなるまい。今のネルソンスの力量では、その場その場の音楽を響かすのがせいぜいで、全体の見通しがいかにも弱いと思う。
さしものフィルハーモニアも、指揮者の的確な統御のないまま、個々の管楽器奏者が闇雲に鳴らしている感が否めず、しばしば耳を覆いたくなった。これでは名人集団もかたなしである。
まあ、こういう演奏会もあるさ。先日耳にしたユロフスキー&LPOの協働作業がいかに緊密で稔り多いものであるかを痛感。あちらは常任指揮者、ネルソンスは客演というハンディキャップを差し引いても、今夜は感心できる点が甚だ尠かった。
苦い失望を胸に、ウォータールー橋で暫し寒風に晒され、「188」番のバスでホテルに戻る。途中インド人の店でナイトキャップ用にフェンティマンズの
「ダンデライオン&バードック」を購入。この蒲公英と牛蒡のエキス、どうも癖になりそうだ。