今日は月曜日。ということは倫敦生活もこれで一週間が過ぎたことになる。
着いたらいきなりの寒波と降雪で一時はどうなるかと先行きが危ぶまれたが、なあに、住めば都で、体がだんだん周囲の空気に馴染んできたのか、耐えられないほどではなくなった。それにここ数日は寒さも些か和らいできているのだ。
そんなわけで一週間目を祝して(?)今日もまた「英国風朝食」。これを食べておくと、あとあとひもじい思いをしないので、結局はお得なのだ、というような理屈を考えて自分を納得させる。とにかくたらふく飲食して体を内側から温めよう。
食後の一服で外に出てみたら鉛色の空だ。雨さえ降らなければいいのだが。
月曜日はオペラもミュージカルも芝居もほぼすべてが休演だ。演奏会も殆ど催されないし、美術館だってたいがい閉まっている。なので行く場所に不自由してしまうのだが、サマセット・ハウスの
コートールド・ギャラリーが月曜の朝十時から午後一時までに限り(何と!)入場無料だという耳寄りな情報が手に入った。
ここの印象派・ポスト印象派のコレクションは(誰もが知るように)世界最高峰なので来倫の度に訪れているのだが、無料開放日があるなんて、今の今まで知らなんだ。六ポンドの節約になる、善は急げ、とばかりに出発だ。腕時計を見ると九時半。ちょうどいい頃合である。
いつものようにラッセル・スクエアのバス停から「188」番のバスに乗車。いつものようにオイスターカードをかざし、いつものように二階の最前席に陣取り、いつものようにホルボーン界隈を見物しながら進む。すっかり日常になったかの如し。
オルドウィッチの停留所で降りて少し行くと堂々たる構えのサマセット・ハウスに到着。無料開放という情報を知ってか知らずか、既に少なからぬ来館者で入口はごった返している。
古風な廻り階段を上がると、あたかも貴族の邸宅に招かれた按配で、豪壮な部屋に招き入れられる(ここは18世紀に建てられた豪壮な大邸宅の一郭である)。先ずはここで期間限定で催されている
セザンヌ展を観てみよう。
正確な名称は "Cézanne's Card Players" という。このコレクションが常設展示している 《
カード遊びをする人々》 と 《
パイプを咥えた男》 の関連作品(つまりはよく似た兄弟分ですな)ばかりを集めた展覧会であるらしい。つまり先日テイトで観たゴーギャン展のような大回顧展とは大いに趣を異にする。
部屋に入るなり、いきなり三枚の 《カード遊び》 が並んでいるのを一瞥して、それだけでもう震えが来てしまった。NYのメトロポリタン美術館(
→これ)、パリのオルセー美術館(
→これ)、そしてコートールド・ギャラリー(
→これ)の三点である。
それがどうした、と云う勿れ。なにしろ全部で五枚しか存在しない 《カード遊び》 のうち、バーンズ・コレクションの一枚は「門外不出」作品であり、もう一枚は個人蔵の作品とかで貸出不可。そうなると紐育・巴里・倫敦の三枚が並ぶだけでも充分これは「事件」たりうるのである。千載一遇。
しかも同じ部屋にはそれぞれの登場人物を個別に描いたデッサン、油彩スケッチも丹念に集められ、一堂に会することで、セザンヌの創作過程が手に取るようにわかるのだ。
そもそも田舎の冴えないオッサン衆が机に向き合って賭けトランプに興ずるという「面白くもなんともない」「小汚い」主題に、画家がこれほどまでに執着したこと自体が奇妙なのだが、その過程で途轍もなく深遠で巨大な「何物か」が現出してしまったところに、セザンヌの破天荒な才能が顕れていよう。
それにしても、と改めて思う。セザンヌのこの自信はどこから来るのか。
不正確で狂いっ放しの人物デッサン。事物の立体感やテクスチャーを再現する描写力の欠如。まっとうな遠近法に対する無知あるいは無関心──要するにセザンヌは本質的に恐ろしく下手糞な素人画家なのだ。絶対に藝大には入れない。
いってみれば勝ち目のないマイナス札ばかり手元に集めて、それでも執拗に飽くことなくカード遊びに挑み続けたのである。そして最後にはすべての札がプラスに転じて逆転大勝利。近代絵画の父となる。
《パイプを咥えた男》 の並ぶ一郭も凄まじい。訳もなく凄味があるのだ。左から順にペテルブルグのエルミタージュ美術館(
→これ)、マンハイム市立美術館(
→これ)、モスクワのプーシキン美術館(
→これ)。《カード遊び》 にも登場する同じおっさんをモデルに連作したシリーズだが、見れば見るほど、いずれも甲乙つけがたい秀作なのである。セザンヌ恐るべし。
もう一点、駄目押しといった具合に飾られていた 《
青い仕事着の男》 にも唸ってしまう(
→これ)。こうなるともう、ケチのつけようがない。ベラスケスやレンブラントにすら勝るとも劣らぬ重厚な肖像画にまんまと成りおおせている。これは遠くテキサスのフォート・ワースのキンベル美術館から齎された作品。
展示室は一部屋のみ。並んだ作品は僅か十八点(だったと思う)。
にもかかわらず、この展覧会は先日テイトで観た大掛かりなゴーギャンの回顧展に対し一歩も引けを取らない。凝縮度とインパクトの強さで完全に拮抗している。そこが凄いと思う。どの一点も蔑ろにされず、すべてが熟考の末に完璧な形で配置される。翻ってわがニッポン国ではどうか。嘗てルノワールやモネの回顧展に係わった当事者として忸怩たる思いを抱かざるを得ない。なんという違いであろうか。
そのあとコートールドの常設コレクションを観る。ゴーギャンの 《ネヴァーモア》 は対岸に出張中とて不在だが、マネの 《フォリー・ベルジェールのバー》 も、ルノワールの 《桟敷席》 も、ゴッホの 《耳を切った自画像》 も、そして珠玉のスーラ作品群もすべて観ることができた。にもかかわらず、どこか「心ここにあらず」状態だったのは先のセザンヌの衝撃の大きさ故であろう。
十二時半を少し回ったので展覧会カタログを入手して辞去。再びオルドウィッチのバス停でトラファルガー方面へ向かうバスに適当に飛び乗り、ふたつ先のトラファルガー・スクエアのバス停で下車。ストランド街を渡るとセント・マーティン・イン・ザ・フィールズ教会の裏手に出る。ここの地下で昼食を摂ろうと聖堂正面に回ると、このあと一時からオルガン演奏があるという。折角なので聴いてみることにする。
ここの堂内に入るのも二年半前の訪問時以来だ。あのときは建物の修復工事が完了したとかで、記念コンサートで
ネヴィル・マリナー卿がモーツァルトのハ短調ミサ曲を指揮した(その日の日記は
→ここ)。
不用意な音をたてぬよう気をつけながら、そうっと祈禱席に着座。ほどなく定刻になり演奏が始まった。手渡されたプログラム冊子をみると今日の演目はたいそう意表を突いている。
《ランチタイム・コンサート・シリーズ》
12月6日(月) 午後1:00~
セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ教会オルガン・シリーズ
「巴里の舞曲 Parisian Dances」
オルガン/イアン・キュラー Ian Curror
プログラム/
ラモー: 『典雅なインド人』序曲
ラヴェル: ハバネラ形式の小品
ピエール・ショレ: 主鍵盤によるルンバ Rumba sur les grands jeux
ドビュッシー: 小組曲
サティ: 三つの舞曲(グノシエンヌ、金粉、ピカデリー) 神聖なる教会のオルガンでフランス近代の世俗舞曲を奏でるという趣向が面白い。しかも奏者はチェルシーの王立施療院のオルガン奏者を務める謹厳実直たる紳士である。このミスマッチぶりがなんとも可笑しいのだ。
殆どの楽曲は編曲物であるが、多彩なオルガンの音色を生かしたオーケストラばりに手の込んだアレンジ(恐らく奏者自身によるもの)に耳を欹てて聴く。ドビュッシーの小組曲をオルガン演奏で、しかも教会堂内で聴くなんて、ちょっと想像もできないだろう。ピエール・ショレ(Pierre Cholley 1962~)はまるきり未知の作曲家だが、この「ルンバ」はどうやらオルガンのためのオリジナルらしく、あとで調べたらそれなりに人口に膾炙している曲であるらしい。村祭りの賑わいを思わせる素朴で愉しくダンサブルな音楽だ。
演奏は四十分程で終了。できれば三・五ポンドの喜捨を(Suggested donation £3.50)、とプログラム冊子にあるのでその奨めに従う。
このあと教会地階へ降りてクリプトの食堂で遅めのランチ。ここへ来るのは三度目である。今日もポーク・ソテー(のようなもの)に温野菜を三品添えたものと、ずっしり中身のつまった野菜スープとロールパン。これで一一・四五ポンド。安価ではないが、それなりに美味しくて温まるし、腹も膨れるのだから言うことなし。
食べながら『タイムアウト』を眺めていたら、ヴィクトリア&アルバート美術館が月曜も開館しているのを発見。先日は根気が続かなくて消化不良のまま出てきてしまった「
ディアギレフ展」を再訪するのも悪くない。夕方までまだたっぷり時間がある。そうと決まったら善は急げ、すぐに席を立ち地上に出て、地下鉄レスター・スクエア駅へと向かう。サウス・ケンジントンまではピカデリー・ラインで一本だ。
再び訪れた「ディアギレフ展」は水曜日と同様に賑わっていた。むしろ今日のほうが混み合っているほどだ。順路に従って最初から観て歩くが、前回じっくり鑑賞した前半部分は軽く流すような塩梅でそぞろ歩く。こうして二度目に観ると、衣裳や緞帳といった現物に存在感がありすぎて、壁に掲げられたデザイン画や写真、その他の資料展示の影が薄いことに気付かされる。かつて池袋のセゾン美術館で観たときは両者のバランスがうまくとれていたと思うのだが、今回の展示では「実物」の威力に圧倒されてしまったということか。
ゴンチャローワの『火の鳥』とピカソの『青列車』(当初は特定の演目のためのものではなかった由)ふたつの巨大な緞帳を過ぎたあたりからは、じっくり念入りに腰を据えて観ることにする。年代的には第一次大戦による中断を挟んで、1917年のパリ公演で『パラード』が物議を醸したところからである。
1917年 『パラード』 コクトー台本 サティ音楽 ピカソ美術
1919年 『風変わりな店』 ロッシーニ(レスピーギ編)音楽 ドラン美術
1919年 『三角帽子』 アラルコン原作 ファリャ音楽 ピカソ美術
1920年 『夜鶯の歌』 アンデルセン原作 ストラヴィンスキー音楽 マティス美術
1920年 『プルチネッラ』 ストラヴィンスキー音楽 ピカソ美術
1921年 『道化師』 アファナーシエフ原作 プロコフィエフ音楽 ラリオーノフ美術
1923年 『結婚』 ストラヴィンスキー音楽 ゴンチャローワ美術
1924年 『青列車』 コクトー台本 ミヨー音楽 ローランス美術 シャネル衣裳まことに目も眩むばかりのラインナップである。
ただし、本展における展示ではこのあたりの会場設計が些か混乱し、うまく整理ができていない。『パラード』の奇抜さは印象に残るのだが、舞台としてはより完成度の高い『三角帽子』の展示がおざなりだし、『夜鶯の歌』におけるマティスの秀逸なアイディアも印象に残らない。『プルチネッラ』に至っては全く無視されていたと思う。バレエ・リュスの全歴史のなかで最も目覚ましいコラボレーションが実現した時代だというのに、このお座成りな展示は甚だ残念である。
このセクションで最も心打たれたのはやはり舞台衣裳の現物だった。
ミハイル・ラリオーノフがプロコフィエフと協働した『
道化師』については、舞台や衣裳のデザイン画を眺めるだけでも心躍るものがあるが、実際に原色に彩られた奇抜な衣裳を目にすると(
→これ、
→これ)、アヴァンギャルドの実験精神をまざまざと実感させられ目が眩む思いがした。
同様に目を惹いたのはバレエ・リュス最後の年、1929年に上演されたバレエ『
舞踏会』(リエーティ作曲)のために
ジョルジョ・デ・キリコが手掛けた衣裳(
→これ)。
デ・キリコの貢献については知識として知ってはいたが、いざ衣裳の実物を見せつけられると、そのスタイリッシュな遊び心に強く興味を掻き立てられる。
展覧会の最後は「遺産 Legacy」と題され、ディアギレフの死後、バレエ・リュスの遺産が如何に継承されたかが語られるのだが、なんとも急ぎ足の展示になってしまい竜頭蛇尾の謗りを免れまい。
1960年代にBBC・TVが制作したという『牝鹿』の「現代版」翻案番組もわざわざエンドレスで放映するほどのものではないし、バレエ・リュスに触発されたというイーヴ・サン=ローランのファッションも、いかにも付けたりの印象で、あらずもがなの感が否めない。こんなお座成りな締め括りではなく、フランス、イギリス、アメリカでバレエ・リュスが如何に継承され、その後のモダン・バレエの礎を築いたかをきちんとみせたほうがどんなに良かったかと悔やまれる。
ただひとつ、出口の傍らのスクリーンで投影されていたバレエ・リュス・ド・モンテカルロ(だと思う)公演を客席から盗み撮りしたとおぼしい『金鶏』の断片映像(1938年頃)は、当時まだ珍しかったカラー撮影ということも手伝って、甚だ貴重な記録だと思われる。周知のようにディアギレフはバレエをフィルムの形で保存することに全く関心がなかった(というか、忌み嫌っていた)ために、バレエ・リュスの動く映像としての記録は一秒たりとも遺されなかったのである。
会場を出たところにある売店で、前回に買いそびれたグリーティング・カードを三種類手にした。それぞれ『鋼鉄の歩み』(1927)、『牝猫』(1927)、『ミューズたちを率いるアポロ』(1928)の一場面をあしらったものだ。『牝猫』で
ナウム・ガボが手掛けたウルトラ・モダンな透明衣裳が秀逸だ(
→これ)。
このあと再び地下鉄サウス・ケンジントン駅まで踵を返し、ピカデリー・ラインで一旦ラッセル・スクエアなるホテルに戻って小休止。
六時近くなったので再度ラッセル・スクエアのバス停から「188」番に乗ってウォータルー橋へ。
階段を降り川べりへ出ると、国立劇場のショップに立ち寄る。ここで先日来の懸案の
クリフォード・オデッツの戯曲を探してみたのだが、『起きて目覚めよ』や『ゴールデン・ボーイ』はあったのだが、『カントリー・ガール(=喝采)』の刊行台本は見つからない。やはりこの芝居の観劇は諦めるほかなさそうだ。
開演までまだ間があるので、ロイヤル・フェスティヴァル・ホール(RFH)付属の簡便なカフェ「EAT.」でバゲット・サンドとクランベリー・オレンジ・ジュースで軽い夕食。
今夕の演奏会はここではなく、隣接する建物にあるPRで催される。三つある音楽ホール中で最も小さい
パーセル・ルームである。ブラームスのヴァイオリン・ソナタの夕。ロビーにはまだ人影もまばらだ。
Alda Dizdari, violin
Sholto Kynoch, piano
Johannes Brahms
The Complete Sonatas for Piano & Violin
Monday 6th December 19.45
Purcell Room
Southbank Centre実は今日のヴァイオリン奏者については申し訳ないが何ひとつ知るところがない。アルバニア出身の閨秀演奏家なのだそうだが、名前をどう読むのかすら詳らかでないのだが、とりあえず
アルダ・ディズダリと記しておこう。首都ティラナ生まれで米英への留学を経験。2006年アルバニア管弦楽団の訪英時に独奏者として倫敦デビューを果たし、セント・ジョンズ・スミス・スクエアやセント・マーティン・イン・ザ・フィールズでも演奏経験があるという。
何はともあれ、今日は心静かにブラームスを聴いていたい。底冷えのする厳寒の宵に音楽で温もりたいという思いなのである。プログラムは以下のとおり。
ヨハンネス・ブラームス:
スケルツォ ハ短調 (F-A-E ソナタ 第三楽章)
ソナタ 第一番 ト長調 作品78
~休憩~
ソナタ 第二番 イ長調 作品100
ソナタ 第三番 二短調 作品108三曲のヴァイオリン・ソナタに、若書きの「自由に、だが孤独に」ソナタ(恩師シューマンと友人ディートリヒとの共作)の断章を加えた「完全全曲」演奏であるところがミソ。
パーセル・ルームは板張り内装の小ぢんまりとしたホール。席は「Kの19」。十一列目とかなり後方だが、小さな空間なので、むしろベスト・シートではあるまいか。客足がえらく悪いな、と思っていたら、定刻になるとそれでも八割がた埋まっただろうか。
(まだ書きかけ)