六時半に目覚める。寝惚け眼でTVを点けるが、起き上がるのが難儀だ。両脚の脹脛が少し張っているようだ。倫敦での数日間、年甲斐もなく頑張りすぎたかもしれない。今日は日曜日。安息を心がけねばならぬ。
窓からの眺めは中庭なので空がほんの少ししか見えないが、空はどうやらすっきり晴れている様子だ。
七時過ぎに食堂に赴く。疲労回復には栄養補給が先決とばかりに「英国風朝食」を所望。追加の四・五ポンドを徴収される。
食堂はいつもより混雑している。ひとり掛けの席がなかなか見当たらず、奥のほうまで追いやられる。やれやれ。週末なのでホテルの利用客が急増したのであろう。不思議なことに日本人の姿を見かけない。
たらふく食べたあと玄関脇の喫煙所に出て空を仰ぐと、今日も昨日に引き続き青空が広がっている。ちょうど日の出の頃合いらしく、東の空が眩く輝いている。腕時計が壊れたのでわからないが、かれこれ八時だろう。
部屋に戻って天気予報を見ると、どうやら夕方までは好天がもちそうだ。宜しい、今日も少し戸外を歩こう。ただし疲れない程度にだ。
九時になったので行動開始。外に出ると昨日ほどではないがまずは清々しい晴天だ。暫くこの界隈をのんびり散策してみるのも悪くない。気が向いたら大英博物館にもちょっと寄ろう。
ホテルの前の道(道路名もタヴィストック・スクエアという)を西に進む。タヴィストックそっくりの広場(こちらはゴードン・スクエアという)を右手に見て、少し道が湾曲したあたりからは両側にいかにも大学らしいアカデミックな装いの建物群が現れる。左の方角にはひときわ高くロンドン大学本部(?)らしき広壮な建物(モスクワにあっても不思議でない居丈高な建築だ)があたりを睥睨している。もっとも今日は日曜なので学生らしき姿はひとりもなく、界隈はひっそり閑。
道に面した窓から覗くと書籍でぎっしり溢れている建物があったので玄関で名称を確かめたら、なんとここが "The Warburg Institute"──名だたる美術史研究の拠点(少なくも往時はそうだった)「ウォーバーグ(=ヴァールブルク)研究所」なのであった。道理で本で一杯だったわけだ。更に少し行くと書肆「ウォーターストーン」がありガワー・ストリートに出たので、とりあえずそこを左折。
左手にはなお大学関係の建物が続き、"Royal Academy of Dramatic Art" の名が掲げられている。 「王立演劇芸術アカデミー」とでも訳すのか、演劇学校であろう。なおも歩を進めると、道の両側は古めかしい煉瓦造の三階建長屋ばかり延々と続く一郭になり、そのいくつかはB&B(簡便な安宿)に転用されている。
右手に緑地が見えてきた。
ベッドフォード・スクエアだ。どうやらこのあたりらしいぞ、と見当をつけ脇道に入り捜し捜し歩いたら、やっぱりあった(
→これ)。
1912年7月12日のこと、ニジンスキーとバクストは招かれて長屋の一郭にあるこの家に来た。ここの女あるじ
オットライン・モレル夫人は倫敦きってのバレエ・リュス支援者のひとりだったのだ。リチャード・バックルの一節を引く(鈴木晶訳)。
オットライン夫人はニジンスキーを、ベッドフォード公園に誘った。同じ午後、ダンカン・グラントも公園にテニスをしにきた。たぶん、ニジンスキーがネットを跳び越えるところが見られるのではないか、と期待していたのだろう。[…] ニジンスキーもバクストもテニスはやらなかったが、庭園に腰をおろして、人がテニスをするのを眺めていた。ニジンスキーの次のバレエ 《遊戯》 の、バクストによる舞台装置は、「まどろんでいるような庭園の木々」のあいだから見下ろした、ベッドフォード公園のジョージ王時代風のテラス建築がもとになっているに違いない。バレエそのものも、彼らが眺めていたテニスから着想されたのかもしれない。オットライン夫人によれば、バクストとニジンスキーは、ダンカン・グラントたちのテニスを眺めながら、高い木々や、テニスをする人たちが動き回る姿に見とれ、「素晴らしい舞台装置だ!」と叫んだという。
然り、そういうことだ。つまりこの場所こそはドビュッシー=バクスト=ニジンスキーの協働になる『
遊戯 Jeux』(1913)の発祥の地なのである。このバレエがしばしば「ブルームズベリー・バレエ」と綽名されるのはそういう訳なのだ。
ここまで来れば
大英博物館までは指呼の距離、目と鼻の先である。再び元のガワー・ストリート(このあたりではブルームズベリー・ストリートと呼ぶ由)に戻って少し行くと、グレート・ラッセル・ストリートと交叉する。ここを左折。「グレート」と名付けた割りに細っこい小路だわいと思う間もなく、そこはもうブリティッシュ・ミュージアムの正面玄関なのである。
列柱と三角破風を備えたギリシア神殿ふうの威風堂々たる大建築に足を踏み入れる。まずは丸屋根の懸かった中庭に直行し、ミュージアム・ショップを物色。ここでスーヴニール用の腕時計を探すのだ。といっても誰かへの土産ではなく、自分で嵌めてすぐ使うためにである。
流石にここの売店は充実している。腕時計だけでも、ロゼッタ・ストーンの碑文をあしらったもの、北斎の「神奈川沖浪裏」をデザインしたもの、博物館の外観シルエットをシンプルに描いたもの、などなど。ちょっと迷った末、"Lewis Chessman Watch" を購入。ヘブリデスのルイス島で出土した古代のチェスの駒とチェス盤の意匠をあしらった黒と金の渋いデザインのウォッチ。19.99 ポンドだから二千数百円か。早速これを腕に巻く。これでひと安心。旅先で時計がないというのは不安なものだ。
咽喉の渇きを覚えたので、傍らのカフェでエスプレッソ珈琲を一杯。硝子張りの丸天井を見上げると澄んだ青空が。今日もどうやら穏やかな日になりそうだ。
この途轍もなく巨大な博物館では欲張らないことだ。到底すべてを観ることは叶わないのだから。先ずはパルテノン神殿の
エルギン・マーブルズにちょっと挨拶し、そこから古代エジプトの展示室群をそぞろ歩く。とにかく凄まじい量の展示品である。よくもまあ集めたものだ、世界に冠たる大英帝国だけのことはあるわいと感服した。
長居は禁物とわかっていても二時間があっという間に過ぎた。正午を回ったのでどこかでランチを摂らねばなるまい。お目当ての店があるわけでないので、博物館周辺を少し物色し、小さなイタリア料理屋(店名は失念)でサラダとパスタを頼んで軽く昼食。味はまあ可もなく不可もなく、かな。ともかく小腹は膨れた。
腕時計を見るとちゃんと動いていて嬉しい。店の時計とも合っているから大丈夫だ。少し早いのだが、そろそろバスに乗ろうか。
ブルームズベリー・ウェイのバス停で少し待つと、「19」番のフィンズベリー・パーク行きが来た。例によって二階席の先頭に陣取ってご満悦。「ハイ・ホルボーン」「シオバルズ・ロード」「ローズベリー・アヴェニュー」、更には「マウント・プレズント Mount Pleasant」(快楽の山?)という珍妙なバス停(あとで調べたらこの近くに倫敦最大の郵便集配局と逓信博物館があるらしい。行きたかった!)に目を丸くしていたら、「次はサドラーズ・ウェルズ」のアナウンス。慌てて釦を押し階段を駆け降りる。
(まだ書きかけ)