帰国して今日で一週間になるのだが、なかなかニッポンの日常に馴染めない。心はまだ異国にあるが如し。とりわけ二週遅れの「倫敦旅日記」を綴っているとたちまち魂が抜け出て遠方へ飛び立ってしまう。おまけに悪性の咽喉風邪にやられたようで、体は抜け殻のようにへろへろだ。
昨日たまたま聴いたディスク "The unknown Shostakovich" に触発され、その姉妹盤たるCDをかけてみる。寝床に臥せっていても音楽は愉しめるのだ。
"The unknown Prokofiev"
プロコフィエフ:
チェロ協奏曲 第一番 ホ短調 作品58
チェロ小協奏曲 ト短調 作品132
(ウラジーミル・ブローク編、カデンツァ=シニートケ&イワーシキン)
チェロ/アレクサンドル・イワーシキン
ワレリー・ポリヤンスキー指揮
ロシア国立交響楽団
2000年2月24、25日、1999年3月22、23日、モスクワ、モスフィリム新スタジオ
Chandos CHAN 9890 (2001)
二曲あるヴァイオリン協奏曲や五曲あるピアノ協奏曲が疾うにスタンダードな古典として繰り返し演奏されているのに比して、プロコフィエフのチェロ協奏曲は極めて不遇、というか不当な等閑視にあって久しい。
ピアチゴルスキーの依頼で書き始めながら作曲者の帰国により初演は別人(レフ・ベレゾフスキー)の手によりモスクワで行われ、しかも芳しい評価が得られなかった。やがて譜面を手にしたピアチゴルスキーは何度か演奏こそしたものの、この曲を好まなかったようで録音も残っていない。それどころか、同曲を録音したチェリストはヤーノシュ・シュタルケル、クリスティーナ・ワレフスカら、ほんの数人に過ぎない。
その理由は明らかである。初演の失敗で苦杯を嘗めたプロコフィエフ自身がこの協奏曲の出来に満足せず、若きロストロポーヴィチの援けを借りて大幅な改訂を施し、新たに第二番として送り出し、更に手を加えて交響協奏曲(作品125)に仕上げたからである。元になった協奏曲(第一番)はそのための足がかり、作曲素材と看做されたのである。少なくともロストロポーヴィチはそう信じ、最終版の交響協奏曲しか演奏しなかった。改訂版の存在が元版を駆逐する──第四交響曲と同じ経過がこのチェロ協奏曲を見舞ったのである。
改めてこの第一協奏曲に虚心坦懐に耳を傾けると、これが永く忘却されていたのが如何に理不尽な仕打ちだったかが明らかになる。これは1930年代後半──第二ヴァイオリン協奏曲や『ロミオとジュリエット』と同時期──脂の乗り切ったプロコフィエフのペン先から流れ出た、最上の、とはいかぬまでも、練達と円熟を充分に窺わせる成果のひとつなのである。
(まだ聴きかけ)