もう一枚、これはずっと以前からわが鍾愛のアルバムである。
"Schumann-Ravel/ Lefébure-Paray"
シューマン:
ピアノ協奏曲*
子供の情景
ラヴェル:
ピアノ協奏曲**
ピアノ/イヴォンヌ・ルフェビュール
ポール・パレー指揮* **
フランス放送フィルハーモニー管弦楽団
1970年3月18、19日、パリ、ラディオ=フランス、スタジオ104
1977年11月18日、アントニー
1970年3月3日、ラディオ=フランス、スタジオ103
Solstice SOCD 55 (1988)
公式録音が極度に少ないフランスの閨秀ピアニスト
イヴォンヌ・ルフェビュールだが、晩年に熱心な崇仰者の手でたて続けに新録音がなされ、過去の放送録音が発掘された。本盤はその白眉ともいうべき協奏曲録音で、なんと
ポール・パレー御大との共演記録である。しかもシューマンとラヴェルというパレーに打ってつけの二曲。心躍らずにいられようか。
彼女もまたパリ音楽院の名ピアノ教師だが、録音には恵まれず、専ら彼女が晩年のフルトヴェングラーと共演したモーツァルトの第二十協奏曲や、プラド音楽祭に招かれカザルスと共演したバッハの第一協奏曲の独奏者としてその名を見かける程度。少なくもわが国では幻の存在だった。
そこに風穴を開けたのは1980年前後だったか、RCAから出た彼女のラヴェル・アルバムである(原盤/仏FY)。曲目は「クープランの墓」「水の戯れ」「高雅で感傷的な円舞曲集」、弟子との連弾による「マ・メール・ロワ」。老年ゆえの運指の乱れこそあるが、凛とした気品と清冽な詩情がまことに素晴しい。それもそのはず、彼女もまた親しくラヴェルの謦咳に接し、「水の戯れ」と(「クープランの墓」の)「トッカータ」の奏法についてアドヴァイスされたという。直伝のラヴェルだったのだ。
ポール・パレーがラヴェルと昵懇の間柄だったことは周知のとおり。恐縮だが拙文を引かせていただく。出典はCD《パレー/フランス管弦楽曲集》(Grand Slam GS-2051)のライナーノーツ。
第一次大戦に従軍し捕虜生活も体験したパレーは、帰還後の1920年にラムルー管弦楽団を振ったのを契機に、思いがけず指揮者としてのキャリアを開始する。もともと作曲家であり、抜群の耳の良さと読譜能力、集団統率力を兼ね備えたパレーは、楽団員と聴衆のみならず、多くの同僚作曲家からも支持された。
とりわけラヴェルから寄せられた信頼は厚く、1923年には《サラバンド》と《ダンス》(ともにドビュッシーのピアノ曲の管弦楽用編曲)の初演を委ねられている。その後モンテカルロ歌劇場に拠点を移したパレーは、1931年と33年の二度にわたって作曲家を招いて「ラヴェル・フェスティヴァル」を催し、指揮をラヴェルと分担した。1931年4月1日の演奏会プログラムを紹介しておこう。
《ダフニスとクロエ》 第2組曲
《亡き王女のためのパヴァーヌ》
《スペイン狂詩曲》 (以上、パレー指揮)
《ラ・ヴァルス》
《マ・メール・ロワ》 組曲
《ボレロ》 (以上、ラヴェル指揮)
もちろん後半部分のリハーサルにもパレーは立ち会ったわけで、彼は作曲家とともに演目の細部を検討し、演奏上の奥義を授けられた。この体験が後年のデトロイト録音に生かされたことは言うまでもなかろう。精緻で絶妙なニュアンスに満ちたパレーのラヴェル解釈は作曲家直伝だったのである。ちなみに、ラヴェル最後の作品《ドルシネア姫に想いを寄せるドン・キホーテ》初演もパレーが指揮した(1934年12月1日、コロンヌ管弦楽団)。
という次第で、ルフェビュールとパレー、このラヴェル所縁のご両人の共演が悪かろう筈がないのである。実に逞しく推進力に満ちた剛毅な演奏で、とても七十一歳と八十三歳の共演とは思えない。ふたりの間ではラヴェルはまだ「生きていた」のだ。
あまりにも感動したのでルフェビュールのラヴェルをもう一枚。上に紹介したLPは今もなお現役CDとして手に入るのだ。
"Maurice Ravel/ Yvonne Lefébure"
ラヴェル:
クープランの墓
水の戯れ
マ・メール・ロワ*
高雅で感傷的な円舞曲集
ピアノ/イヴォンヌ・ルフェビュール
連弾/ジェルサンドル・ド・サブラン*
1975年1月20、27日、パリ
FY FYCD 018 (1986)
「
クープランの墓」第一曲「前奏曲」冒頭で玲瓏明晰なタッチがLPから流れ出たときの感動が蘇る。とにかく聴いてほしい。ブックレットに掲載された
ラウル・デュフィの手になるルフェビュールの肖像デッサンも素敵ですよ。