1947年モロッコに定住して文筆に専念する道を選んだ
ポール・ボウルズも、作曲活動を完全に放棄してしまったわけではない。
親友のピアノ・デュオ、ゴールド&フィッツデイルの委嘱で「
ナイト・ワルツ」(1949)と「
ピクニック・カンタータ」(1953)を作曲したほか、妻ジェインによる芝居『
夏の家で』(1953)、盟友テネシー・ウィリアムズの二つの芝居『
青春の甘き小鳥』(1959)と『
牛乳列車はもう停まらない』(1962)に付随音楽を提供した(残念ながら過去の協働作『ガラスの動物園』『夏と煙』のようなヒット作にはならなかったが)。ほかに地元タンジールのアメリカン・スクールからの依頼で1966年から晩年にかけて書いた九つもの劇音楽(ソフォクレスの『
オイディプス王』、エウリピデスの『
バッコスの巫女』『
オレステス』、ワイルドの『
サロメ』、カミュの『
カリギュラ』など)も見逃せない。
ゆっくりしたペースながら折りに触れ歌曲の作曲も続けられた。
広汎な世界旅行者として各地の民衆音楽にも並々ならぬ関心を寄せ、とりわけモロッコ音楽には造詣が深く、ロックフェラー財団の助成で収集や録音にも力を注いだ。
ボウルズは終生ずっと鋭敏な耳をもった音楽家であり続けたのである。
作家ボウルズの声価が世界的に定まった1990年代、久しく忘れられていた音楽における業績にも新たな光を投げかける動きが相次ぐ。彼の作品ばかり集めた記念演奏会が1993年マドリード、1994年パリ、1995年ニューヨーク、とたて続けに開催され、作曲家ボウルズの復権はいよいよ決定的なものとなった。こうして流謫と隠遁の芸術家にも栄光の晩年が訪れる。
"Paul Bowles: An American in Paris"
ポール・ボウルズ:
フアパンゴ 第二番*
「葉蔭のように淡く」** 詞=テネシー・ウィリアムズ
「眠れない夜」** 詞=チャールズ・ヘンライ・フォード
「三」** 詞=テネシー・ウィリアムズ
「彼女の頭は枕に」** 詞=テネシー・ウィリアムズ
「笛吹き」** 詞=シーマス・オサリヴァン
六つの前奏曲*
「老女の歌」*** 詞=ジェイン・ボウルズ
「眠りの歌(ベイビー、ベイビー)」*** 詞=ポール・ボウルズ
「フレディへの手紙」*** 詞=ガートルード・スタイン
「デイヴィッド」*** 詞=フランセス・フロスト
「砂糖黍の砂糖」*** 詞=テネシー・ウィリアムズ
ラ・クエラグ*
エル・ベフーコ*
「かつてここにご婦人がいた」** 詞=ポール・ボウルズ
「どうぞ少しそばへ」** 詞=ウィリアム・サローヤン
「森のなかで」** 詞=ポール・ボウルズ
「エイプリル・フール・ベイビー」** 詞=ガートルード・スタイン
「あそこの草原のほうへ」** 詞=不明
ナイト・ワルツ****
「私の恋は軽い」*** 詞=テネシー・ウィリアムズ
「孤独な男」*** 詞=テネシー・ウィリアムズ
「凍りついた馬」 詞=ジェイン・ボウルズ
「妹の手を取って」*** 詞=ジェイン・ボウルズ
「アメリカの英雄」*** 詞=アンドルー・ロー、ナサニエル・ナイルズ
フアパンゴ 第一番*
ニ台のピアノ、木管楽器、打楽器のための協奏曲*****
ピアノ/グスターボ・ロメロ*
テノール/ハワード・ハスキン、ピアノ/ハリダス・グライフ**
ソプラノ/ジョー・アン・ピッケンズ、ピアノ/ハリダス・グライフ***
ピアノ(二台)/ハリダス・ウライフ、ジャン=フランソワ・ジジェル****
ピアノ(二台)/白建宇、フセイン・セルメット*****
オーボエ/ジャン=クリストフ・ガイヨ*****
クラリネット/ベルナール・ヤノッタ*****
トランペット/クレマン・ガレック*****
打楽器/ギー=ジョエル・シプリアニ、ジェラール・ペロタン*****
1994年5月8日、パリ、ロン・ポワン/ルノー=バロー座(実況)
Koch Schwann 3-1574-2 H1 (1995)
録音日・場所から明らかなように、これはポール・ボウルズご本人を迎えてパリで催された記念演奏会の実況である。演目は流石によく練られていて、ピアノ曲、二台ピアノの曲、そして代表的な歌曲、さらには二台ピアノのための協奏曲、とボウルズ音楽の多彩な魅力を散りばめたような一夜の編成になっているのが素晴らしい。
(まだ聴きかけ)