いつもより早起きして電車と地下鉄を三本乗り継いで、代々木上原駅に到着。
約束の十時にはまだ十数分ある。飲み物でも買おうかとホームを歩きかけたら先着の旧友たちに呼び止められた。これで四人全員が揃った。今日はここから小田急線で終点まで長旅に出る。
ほどなく到着した急行列車に乗り込む。同行の面々はつい先日の池袋での飲み会や横浜散歩でも一緒だった
Boe、
みや、
みうの三人衆。思いのほか車内は混みあっているので、車窓を眺めながら立ったままで雑談。相模大野から先には行ったことがないので、神奈川県特有の起伏のある台地に建ち並ぶ家並や、次第に近づいてくる相模山系をしばし物珍しげに眺める。
新松田という駅まで来てやっと全員が坐れた。ここから先は周囲の景色が俄かに深山幽谷めいてくる。しばらくして再び視界が開けたと思ったら「次は終点の小田原」のアナウンス。所要時間一時間半弱。退屈はしないが、さすがに遠かった。
ここから伊豆箱根鉄道に乗り換えて更に十数分。鄙びたホームに降り立つと、改札の外で手を振る人がいる。
高田純さんがわざわざ迎えに来て下さったのだ。
前々から「ぜひ会おう」と声をかけて下さっていたのだが、なかなかお目にかかる機会が巡ってこなかった。今回たまたまウィーンから帰国中のBoe君が連絡をとったら「ご友人たちでぜひ小田原まで遊びにいらっしゃい」と誘われたそうで、小生も急遽ご相伴にあずかることになったのだ。
「ほら」と純さんが指差すその先を見遣ると、ほど近く迫った山並の向こうの雲間から富士山の頂がひょっこり顔を覗かす。その意外な大きさに、嗚呼はるばる小田原まで来たのだのだなと実感する。
「純さん」などと馴れ馴れしく呼んでいいものか。高田さんは百戦錬磨のヴェテラン脚本家であり、映画・TV界では知らぬ者なき存在である。ショーケンと倍賞美津子を主役に
神代辰巳監督が撮った恋愛映画の秀作 《
恋文》《
離婚しない女》 のシナリオを(監督と協働で)手掛けたほか、美保純主演のヒット作《
ピンクのカーテン》シリーズも広く知られていよう。近年はTVドラマに主力を注がれているようだが、目下企画中の映画シナリオもあれこれ抱えておられるそうだ。
われら四人にとって高田純さんは1970年代前半にTBSラジオで
林美雄さんがDJを務めていた深夜番組「パック・イン・ミュージック」金曜第二部(通称「林パック」)の映画コーナーの常連ゲストとして親しい存在だったのみならず、林さんが満を持して「夢」を実現させた「
歌う銀幕スター夢の狂宴」(1975年1月19日、新宿・東京厚生年金会館)に強力な助っ人として係わり、邦画ファンの願いを体現する素晴しい台本を手がけた人物として、記憶のなかで永く燦然たる光芒を放っている。
この空前絶後「ただ一度、二度はない」イヴェントについて説明し始めると長くなる。その概略については以前の拙文(
→ここ)をお読みいただくか、純さんご執筆の構成台本がなんとネット上で読めるので(
→ここ)、むしろそちらをご参照いただきたい。
今になって思い返してもまさに夢のような「狂宴」から早三十五年。
林さんの盟友だった純さんはあの企ての中心人物であり、片やわれらはただ末席に連なる形で前売券の販売や、当日の裏方作業を手伝ったに過ぎないのだが、それでも同じイヴェントの実現に携わった同志ではないか、という想いが今日こうしてお誘い下さった純さんの「招待理由」かと拝察する。違うのかな?
純さんに先導され駅から田舎道を数分歩くと高田邸に到着。瀟洒な二階建ての洋館と風情たっぷりの芝庭があり、庭先には金木犀が咲き誇る。ふと傍らに目をやると趣ある和室が佇む。これが噂に聞く純さんご自慢の茶室「
と庵」なのだな。。。
(まだ書きかけ)