小生の世代の多くの者にとって
小笠原豊樹の名は殆ど顔見知りと云いたいほどの親しみと身近さを感じさせる。
初めてその名に接したのはやはり
ソルジェニーツィンの翻訳者としてであろう。
イワン・デニソビッチの一日
小笠原豊樹訳
河出書房
1963
マトリョーナの家
小笠原豊樹訳
河出書房
1970
ガン病棟
小笠原豊樹訳
新潮社
1970
これらの小説をたて続けに貪り読んだのは高校三年だった1970年のことだ。当局の弾圧下でロストロポーヴィチに匿われていた作家の動静が盛んに新聞・雑誌に取り上げられ、年末には遂にノーベル文学賞が与えられた。書店に平積みになった新刊を迷わず手に取ったのだと思う。
こうして小笠原豊樹の名は同じくソルジェニーツィンの翻訳者だった木村浩とともに脳裏に深く刻み込まれた。
長じて大学を中退し二十代を中央線沿線で過ごした頃、暇に任せて近所で漁った古本でも小笠原豊樹の名はロシア文学、とりわけ
マヤコフスキーや
エレンブルグと分かちがたく結びついていた。
マヤコフスキー選集(全三巻)
小笠原豊樹・関根弘訳
飯塚書店
1960
小笠原豊樹
マヤコフスキー研究
飯塚書店
1960
小笠原豊樹
マヤコフスキーの愛
河出書房新社
1971
エレンブルグ
芸術家の運命
小笠原豊樹訳
美術出版社
1964
エレンブルグ
トラストD・E ヨーロッパ滅亡史
小笠原豊樹・三木卓訳
河出書房新社
1970
さしてロシア文学の熱心な読み手ではない小生の書棚にも、このほかザミャーチンの逆ユートピア小説『
われら』やら、白水社から出たナボコフの『
四重奏・目』やら、新潮文庫版で出たドストエフスキーの『
虐げられた人びと』とチェーホフの短篇集『
かわいい女・犬を連れた奥さん』やら、ぐっと近くはマヤコフスキーの死の謎を追ったスコリャーチンの『
きみの出番だ、同志モーゼル』などが今も並ぶ。どれもがぞくぞくする面白さで、どれもが翻訳であることを忘れさせる達意の名訳だった。
70年代は本当によく古本屋や古本市に通った。わが人生で最も本に親しんだ時期かもしれない。といっても払えるのは一冊百円か、せいぜいニ百円まで。いきおい文庫や新書に手が伸びることになる。
早川書房のハヤカワ・ポケットブックやハヤカワ文庫を漁っていて、全く同姓同名の小笠原豊樹という翻訳者名にしばしば出くわすことに気づいた。
アガサ・クリスティ『無実はさいなむ』、
ミッキー・スピレインの『ガールハンター』『蛇』、
ロス・マクドナルドの『ウィッチャリー家の女』『さむけ』『縞模様の霊柩車』、
E・S・ガードナーの『氷のような手』、あるいは
レイ・ブラッドベリの『火星年代記』『刺青の男』『太陽の黄金の林檎』…まだまだ他にたくさんある。
ご多分に洩れずレイ・ブラッドベリには一時期ちょっと嵌ったから、この「もうひとりの」小笠原豊樹の翻訳には単行本でも世話になった。
とうに夜半を過ぎて
小笠原豊樹訳
集英社
1978
死ぬときはひとりぼっち
小笠原豊樹訳
サンケイ出版
1986年
もうひとつ、
アーウィン・ショーの短篇集も忘れられない。
緑色の裸婦
小笠原豊樹訳
草思社
1983
英米文学に通暁した小笠原氏は
ジョン・ファウルズの長篇にも手を拡げていた。
コレクター
小笠原豊樹訳
白水社
1966
魔術師(全二冊)
小笠原豊樹訳
河出書房新社
1972
しかも驚いたことに、同じく小笠原豊樹と名乗る人物がフランス語からの翻訳も手がけている。こちらはもっぱら詩人
ジャック・プレヴェールを専門とする方らしい。
プレヴェール詩集
小笠原豊樹訳
書肆ユリイカ
1956
唄のくさぐさ
小笠原豊樹訳
昭森社
1958
金色の老人と喪服の時計
小笠原豊樹訳
大和書房
1977
プレヴェール詩集
小笠原豊樹訳
マガジンハウス
1991
そしてある日、小生は気づく。この「三人の」小笠原豊樹氏は同じひとりの人物なのだ、と。ネット検索やウィキペディアのある便利な時代ではなかったので、おおかた物知りの友人の誰かに教えてもらったのだろう。しかも小笠原豊樹とは筆名であって、その正体は高名な詩人の
岩田宏であることもそのとき知った。
いやはや、吃驚したのなんのって。ソルジェニーツィンとブラッドベリ、ザミャーチンとスピレイン、エレンブルグとファウルズ、マヤコフスキーとプレヴェールを同じ翻訳者が等しく流暢な日本語に紡ぐなんてちょっと信じがたいことだ。しかも本業は現代詩人。これではまるで
多羅尾伴内ではないか!
閑話休題。
ここまで長々と書いてきたのは実はほんの枕のつもりだった。
先日ジュンク堂で新刊・旧刊を漫然と眺めていて、
岩田宏のエッセイ集をふと手に取った。十六年前に出たものだ。
平野甲賀の鮮やかな書き文字の装丁に惹かれてレジに持参した。その読後感を書くつもりがついつい前置きが長くなってしまった。なので感想文は後日にしよう。