(承前)
「
どんな人間にも 必ず終わりは来る」と唄ったのは野坂昭如だが、どんな翻訳にもまた必ず終わりが来る。こればかりは避けられない宿命なのだ。
いかに名訳と謳われ一世を風靡しようと、やがて文体は古び、訳語はどんどん時代とかけ離れていく。原典はそのまま生き永らえるのに、翻訳のほうには耐用年数があって、いずれ御役御免と相成る。その寿命は四十年とも五十年ともいわれる。
清水俊二の達意の名訳『
長いお別れ』(1958)も、龍口直太郎の(出来の芳しくない)『
ティファニーで朝食を』(1960)も、野崎孝の『
偉大なるギャツビー』(1957)も、同じ野崎孝による『
ライ麦畑でつかまえて』(1964)すら、すべて五十年を経ずして
村上春樹の新訳に更新されてしまった。清水訳を除いて旧訳は悉く駆逐された。到し方あるまい。その間に日本人の生活習慣は劇的に変化し、欧米文化との差が縮まるにつれ、語彙も会話表現も大きく変わったのだ。そもそも1960年に高級宝飾店ティファニーを知る日本人がどれだけいただろうか。
児童文学もまたこの潮流の変化を免れ得ない。すでに岩波少年文庫版
ケストナーはすべて池田香代子の新訳に置き換えられている(『エーミールと探偵たち』『エーミールと三人のふたご』『点子ちゃんとアントン』『ふたりのロッテ』『飛ぶ教室』)。節操なき似非文化人・高橋健二の旧訳が葬り去られるのは慶賀だが、あの懐かしい
小松太郎訳の『
エミールと探偵たち』(初出は新潮社版『少年探偵団』1953)がもう読めないのはちょっと口惜しいのだが。
この調子でいくと、いずれ遠からぬ将来に
瀬田貞二訳「ナルニア国ものがたり」も、
高杉一郎訳『トムは真夜中の庭で』も賞味期限が切れ、消えてなくなる日が来るのだろう。どんな名訳にも、必ず終わりは来る。
アーサー・ランサム作
神宮輝夫訳
ツバメ号とアマゾン号
上・下
岩波少年文庫
2010
旧訳が同じ岩波少年文庫版で出たのは1958年。実に半世紀以上も昔である。
いかに初老の小生と雖も、刊行当時六歳では流石にリアルタイムでは遭遇してはいない。この初訳は
岩田欣三と
神宮輝夫の共訳、すなわち六十歳のヴェテランと弱冠二十五歳の新進が協働した成果である。察するにまだ駆け出しの神宮が全体を下訳し、老練の岩田が加筆する方式で仕上げられたものではないか。
登場する少女ナンシイが「たまげた、こまげた Barbecued billygoats」「あたりき、しゃりき Shiver my timbers」「おどろき、もものき、さんしょのき Jim-booms and bobstays」などと口にしたり、赴任先の父からの電報が「
オボレロノロマハノロマデナケレバオボレナイ BETTER DROWNED THAN DUFFERS IF NOT DUFFERS WON'T DROWN.」と訳される秀逸な工夫は、果たして老若ふたりの訳者どちらの手になるものなのやら。
本書に端を発する
ランサム・サガを集大成した『
アーサー・ランサム全集』全十二巻が岩波書店から翻訳出版されたのは1967年から1968年にかけてのこと。中学三年生だった小生は新聞広告で逸早くその刊行を知り、版元から宣伝パンフを取り寄せ、店頭に並ぶのを心待ちにした。
今も手許に残るそのパンフレットから訳者たちの言葉を引こう。
12の物語を訳し終えて
ランサムの文学は、相当長い上にひじょうに個性的な文体なので、翻訳はかなりきつそうだと思っていました。ところが、長い物語の一字一句の適確な表現力、みごとな筋立てで生みだされていくスリルとサスペンス、子どもたちの動きのたのしさに、筆をとめて前を読みつづけてしまうことが何度となくありました。
十年前にはじめて出た『ツバメ号とアマゾン号』以来、十二巻がそろうのを待ちつづけてくださった読者の人たちによろこんでいただけたらと思います。
──岩田欣三・神宮輝夫
併せて推薦の言葉からも引用しておこう。
アーサー・ランサム全集の刊行をよろこぶ───瀬田貞二=児童文学者
アーサー・ランサムは、昔ワイルドの研究家で、一流の評論家だった。ロシア革命をその目でみた一流のジャーナリストだった。じぶんのヨットを操って、北の国々を廻ったヨットマンで、紀行文の名手だった。そして年老いて少年少女のために小説を書いて、それに新風を吹きこんだ。スチブンソンのような冒険物語を、あたりまえの少年少女の夏休みや冬休みを舞台として語ったその作品から、自由な楽しみと個性的な倫理を、私たちの子どもたちが読みとってくれたなら!
短いなかに委曲を尽くした周到的確な推薦の辞である。
表紙には「
友情と協力をはぐくむ航海と冒険の物語」と大書され、瀟洒な色違いのヨットの絵とともに「第1回配本=6月19日」「第1巻/
ツバメ号とアマゾン号」「定価各700円 《小学5年生以上》」などの文字が躍っている。
それからというもの、刊行の度毎に埼玉の田舎から神田神保町の信山社(岩波書籍販売)まで出向いて新刊を一冊ずつ手にした。爾来もう四十三年も経ってしまったとは俄に信じられない。「たまげた、こまげた」「おどろき、もものき」なのだ。
(まだ書きかけ)