この四月からずつと
川村記念美術館で續いてゐた展覧會「
ジョゼフ・コーネル×高橋睦郎 箱宇宙を讃へて」がたうとう千穐樂を迎へるといふので再訪してみた。家人が未見だつたのと、名殘り惜しいのと、两方の理由からだ。かてゝ加へて美術館の電子案内頁を覗いたら、今日は高橋睦郎さんが特別に詩の朗讀を行ふのだといふ。得難い機會を逸す可からず。
早起きして十時過ぎには美術館に着到。昨日に引き續いて茹だるやうな眞夏日だが、緑一色に覆はれた風景を目にすると暑さが和らぐやうな心地がしてくる。
ざつと館内をそゞろ歩いて常設作品を眺めたあとコーネルの部屋をじつくり拝見。もうこれで見納めかと思ふとつくづく殘念な氣がする。終つて了ふと跡形もなく消滅するのが展覧會の定めとはいへ、このまゝ壊すのが勿體ないほど丁寧に作り込まれた展示設營なのだ。
高橋さんの朗讀は十二時と三時の二囘あると受付で案内されたので、先づは別棟の眺望亭食堂で家人と少々早目の晝食。珈琲で逸る心を引き締める。
愈々正午が近づいてきたので急ぎ足で美術館の玄関廣間にとつて返す。既に數十の參集者が屯してゐる。賣店をちよつと覗いたら展覧會型録(詩集)は疾うに完賣とのこと。いやはや大變な人氣である。人垣の中に舊知の川島夫人の姿を發見。美術館で永く列品解説の任に當つてをられる方だ。四方山話をしてゐたら程なく高橋さんが登場、涼しげな白の上下を纏ひゆつたり寛いだ装ひである。聴衆の多さにちよつと吃驚されたご樣子。この人數では狭く仕切られた展示室で個々の作品を前にしてと云ふ譯にもいかず、前室の壁に掲げた舊作「
この世 あるいは箱の人」のみを朗讀することになつた。却つて願つたり叶つたりだ。これこそ十七年前の展覧會で「箱の人」すなはちコーネルに捧げられた絶唱といふべき詩篇だからである。
さして廣くはない前室は竝み居る聴衆で立錐の餘地もない樣だ。壁書された自作詩篇の前に佇んだ高橋さんは一行ずつ噛み締めるやうに讀み乍ら右から左へとゆつくり歩を進める。その穏やかな肉聲が心の奥深くに沁み入る。夢心地で聴き惚れる。その間およそ六、七分間位だつたらうか、永遠のやうにも思へた。
そのあとは二時から列品解説を擔當するといふ川島夫人を誘つて、三人で冷たい飲物を頂き乍ら四方山話の續き。
再び館内に戻つてうろうろしてゐたら「アラ沼邊さん」と呼び止められる。咄嗟に判らなかつたが舊友の太田泰人君の細君である。暫くすると太田君ご當人も現はれた。最終日なので覩に來たのだといふ。それもその筈、彼こそは十八年前に鎌倉の美術館で最初のコーネル展があつた際の擔當學藝員だつた。その展示を喰ひ入るやうに熱心にご覧になつてゐたのが高橋睦郎さんといふ経緯なのだ。
三年程前に太田君は命に係はるやうな大病をされたが、今はすつかり癒へたさうで見るからに血色も良い。四十年來の友人の囘復は御同慶の至りである。
結局そのまゝずるずる居續けて太田夫妻と一緒に三時からの高橋さんの朗讀會も聴くことになつた。ちよつと図々しい氣もしたので人垣の後方に紛れこつそり耳を傾ける。何度聴いてもその場にコーネルが立ち現はれてくるやうな心持がして、結末の一節「
本当の世界を覗き 吸いこまれる/
ための井戸枠 ぼくらの前にある/
これら なつかしい箱たちは」に差し掛かると決まつて涙が滲むのを禁じ得ない。
最後に高橋さんに一言ご挨拶して太田夫妻と共に美術館を退出した頃には陽もだいぶ傾きかけてゐた。送迎の乘合自動車で國鐡の佐倉驛に出て、そこから在來線で千葉驛迄ご一緒してお別れした。酷く暑かつたが忘れ難い一日になつた。