ふう、かかりきりだった展覧会カタログの年譜の校閲がやっと終わった。
ひとりの芸術家が生まれてから死ぬまで、一体いくつの固有名詞と係わりをもつのだろう。飛び交い綾なす人名・地名・団体名・展覧会名の羅列に頭を悩ます。妥当なカタカナ表記に行き着くまでが難儀だ。できてしまうと当然のように澄まして並ぶ字面にも人知れぬ苦労が潜んでいるのだ。
あとはもう一度ざっと点検し、表記揺れチェックを施せばほぼ完成。これで入稿も可能だ。夕方までかかるかと踏んでいたら思いのほか早く仕上がったので、ちょいとここらで一服して音楽でも。マスター、疲れない奴をひと壜よろしく!
19世紀末から20世紀初頭にかけての弦楽合奏曲が昔から好みである。
何よりもまず、
エルガーの
序奏とアレグロ、
弦楽セレナード、それから
エレジーと
ソスピーリ(溜息)。どれも絶妙な美しさだ。
ホルストに
セント・ポール組曲があったし、
ディーリアスの
エアとダンスという知られざる佳曲もある。そうそう、
ウォーロックにも
カプリオール組曲というのがあったな。
グリーグの
ホルベルグ組曲(正しくは「ホルベアの時代から」というべきなのだろうか)。
シベリウスにも何か組曲あったな、
恋する人といったか。
チャイコフスキーと
ドヴォジャークと
ヨゼフ・スクにはそれぞれ
弦楽セレナードがあって、このジャンル屈指の名作として知られる。ブラームスが何も書かなかったのはいかにも残念だが、そうそう、
フーゴー・ヴォルフには
イタリアのセレナードという忘れがたい小品があったっけ。
このあと
シェーンベルクが出現して
浄められた夜を書くのだが、ここから先はもう次なる時代の領域だろう。
オーケストラの規模が拡大の一途を辿ったこの時代、全く同時期に並行してこうした小編成の弦楽合奏用の音楽が好んで書かれているのはなぜか。時流への一種の反動か、それとも過去の時代へのノスタルジーなのか。
多くの作曲家が申し合わせたように「セレナード」と命名しているのは過ぎしロココ時代への郷愁の目配せなのか。グリーグのホルベルグ組曲も同様で、往時の劇作家ホルベアへのオマージュとして書かれたのだから当然だろう。これは20世紀に入ってからだが、
レスピーギの
リュートのための古風の舞曲とアリア(第三組曲)もその潮流のなかに位置する弦楽合奏曲だろう。
小生がまず気に入って銀座の山野楽器でLPレコードを手に入れ繰り返し愛聴したのは
ドヴォジャーク、当時はドヴォルザークといったが、その
弦楽セレナード。高校三年の冬、12月12日のことと手控帖にある。演奏はヨーゼフ・ヴラフ指揮、チェコ室内管弦楽団。飽きるほど聴いたので懐かしい調べが四十年後の今も耳に残る。
本当は同じその演奏がいいのだがCD化されたのかどうか。少なくも架蔵しない。なので今日聴くのは全く別のディスク。まあいいだろう。
ドヴォジャーク: 弦楽セレナード 作品22
イェフディ・メニューイン卿指揮
ブルノ国立フィルハーモニー管弦楽団1992年11月26~29日、ブルノ、スタディオン・スタジオ
Supraphon 11 1837-2 031 (1993)
指揮者としてのメニューインは大先達カザルスや同世代のヴェーグほどには評価できないが、時として驚くほどの名演を成し遂げることがある。侮れない存在なのだ。
"Menuhin conducting Chech Music" と題された本アルバムにはスメタナの『売られた花嫁』序曲やマルティヌーの「ピアノ三重奏と弦楽のための小協奏曲」なども収められ、なかなか興味津々の内容なのだが、出来映えは今ひとつ。ドヴォジャークの弦楽セレナードもこれといって特色のない平凡な演奏で、数多ある過去の名演に及ぶものでなかった。ブルノのオーケストラの力量も些か冴えない。
このまま引き下がるのは癪なので、同じ弦楽セレナードをもう一枚、全く別の解釈で聴いてみる。"Dvořák Discoveries" という珍しいアルバムから。
ドヴォジャーク: 八重奏=セレナード 作品22
スティーヴン・リッチマン指揮
アルモニー・アンサンブル/ニューヨーク1994年2月27日、
ニューヨーク、マディソン・アヴェニュー、プレズビテアリアン・チャーチ(実況)
Music & Arts CD 926 (1996)
(まだ聴きかけ)