のっけから長文の引用をお赦し願おう。
ストラヴィンスキーによれば、ディアギレフはヴルーベリに舞台装置をデザインしてもらいたかった。だがヴルーベリは、初演の三ヵ月ほど前に世を去っていた。ゴロヴィーンの舞台装置にはどこかヴルーベリを思わせるところがあった。写真をみると、緑、金、あずき色、銀の糸で織られたタペストリーのようだ。反モスクワ的なブノワは、このゴロヴィーンの装置が気に入らなかった。「こんな森の中に、だれが入っていけるものか。だいたい、あまり森には見えない」。ブノワはどちらかというと散文的な頭の持ち主だったのである。衣裳は、装置と同じく豪華だった。[…] ディアギレフは、ゴロヴィーンがデザインした火の鳥と王子と王女の衣裳が気に入らず、バクストがデザインし直した。
最後の週、ストラヴィンスキーは、ガブリエル・ピエルネが指揮するオーケストラのリハーサルに、八回も立ち会った。歴史的な六月二十五日日曜日、ついに、ストラヴィンスキーの最初のバレエが上演され、西欧の人びとが初めてストラヴィンスキーの音楽を耳にした。ストラヴィンスキーは、観客のまぶしさよりも、香水の匂いに圧倒された。 ──リチャード・バックル著、鈴木晶訳『ディアギレフ』(上)より
当夜パリのオペラ座に居合わせたどれだけの人がその音楽を理解しただろうか。いや、タクトを執った当のピエルネも、奏するコロンヌ管弦楽団員たちも、とにかく楽譜を音にするだけで精一杯だったに違いない。
ピットにいてヴァイオリン奏者だった男もきっとそのひとりだった。なんという難解な、なんという奇怪な音楽だろうと驚き呆れたに違いない。そのとき彼は、この無名のロシア青年の次のバレエも、その次のバレエも、そして最初のオペラまでも、すべて自分の指揮の下で世界初演される運命にあろうとは思いもよらなかったろう。
翌年その男はふとした契機からいきなりバレエ・リュスの専属指揮者に抜擢され、ストラヴィンスキーの次作『ペトルーシュカ』を皮切りに、ドビュッシーの『牧神の午後』、ラヴェルの『ダフニスとクロエ』、ドビュッシーの『遊戯』、ストラヴィンスキーの『春の祭典』、更にストラヴィンスキーの歌劇『夜鶯』の初演指揮を悉く委ねられた。ディアギレフには指揮者を見抜く確かな目があったのである。
『牧神』初演時の痛烈なブーイングも、『春の祭典』のスキャンダラスな騒動も、ピットにあって身をもって体験した。巴里で倫敦で伯林で「宙に留まったまま落ちてこない」ニジンスキーの至芸を数限りなくエスコートし見届けた。ふと気付くと彼は自他共に認める20世紀音楽の最も熱心な推進者へと変貌していた。
好奇心を刺戟するエグゾティシズムから総合的な前衛芸術体験へ。ディアギレフのバレエ・リュスが前人未到の領域へと歴史的な、決定的な、不可逆的な一歩を踏み出した1910年6月25日から百年目の日に聴くべきディスクはこれ。これっきゃない。
ストラヴィンスキー:
バレエ音楽『春の祭典』
バレエ組曲『火の鳥』
ピエール・モントゥー指揮
パリ音楽院管弦楽団
1956年11月2、5、6、11日/10月29、30日、11月10日、パリ、サル・ヴァグラム
Grand Slam GS-2049 (2010)
「その男」
ピエール・モントゥーが遺した唯一の『
火の鳥』正規録音、三種類ある『
春の祭典』内ただひとつのステレオ録音、しかも収録場所はどちらも初演地であるパリ。これぞオタンティクと云わずしてなんと評すべきか。
本CD所収の演奏はこれまで別の組み合わせで何度か出ていたが、今回は版元である
平林直哉氏が米国の中古市場で探し出した市販オープンリール・ステレオ・テープ(1960年代?)を音源にしている。因みにこれらの演奏は初出後五十年を経てわが国では既に著作隣接権は消滅しており、誰がどのように覆刻しても法的に些かの問題も生じない由。
それにしても市販テープからの覆刻とはよくぞ考えたものだ。これならLP盤の傷に起因する耳障りなノイズは回避できるし、内周溝の歪みも生じない。たしかに手許の過去のCD(英Decca あるいはキング・レコードの正規盤)に較べて音質に遜色ないどころか、むしろニュアンス豊かに潤って聴こえるほどだ。
サンフランシスコ、ボストン、NYなどの規律正しい米国のオーケストラに馴染んでいたモントゥーは、母国フランスの楽団員のダラケきった規律に我慢ならなかった。なにしろ代役さえ立てればリハーサルをいくらでも欠席していいというのだから情けない。練習不足に由来するアンサンブルの悪さはこのパリ版『
春の祭典』の致命的な欠点であろう。五年前のボストン録音(モノーラル)と比較するまでもなく、これは初演者モントゥーにとって珍しく不本意な演奏というほかない。
それに較べて『
火の鳥』は頗る快調である。オーケストラの非力さは変わらないが、曲そのものがモントゥーの芸風に合致しているし、常任指揮者クリュイタンスがこの曲を日頃からレパートリーにしていたことも奏功したかもしれない。瑞々しい力に漲る演奏である。
モントゥーのこの『火の鳥』組曲は従来「1919年版」と称されていて、それが誤りであることはかつてボストン響との実況盤が出たとき、それと比較しながら少し詳しく記したことがある(
→「モントゥーをボストンで聴ける幸せ(続き)」)。要するにバレエ・リュスの実演に深く係わったモントゥーは、その俤をもっともよくとどめる最初の組曲版、すなわち三管編成のよる「1911年版」に近い形を基本とし、そこに末尾の「子守唄」と「終曲」を補って、曲順からみると一見「1919年版」組曲と見紛う形で奏するという独自のポリシーを貫いたのである。
本ディスクに附された解説はそのあたりの詳細を掘り下げて裨益するところ頗る大(執筆=木幡一誠)。その主旨は概ね上に述べたところと一致するが、楽譜の細部においてはあれこれ複雑な異同があるらしく一筋縄でいかない。要は初演時の演奏を熟知するモントゥーが「組曲版」でそれを彷彿とすべく、いろいろ現実的な妥協策を講じた結果がこれだということらしい。『春の祭典』のエディションについても難しい問題があるのだそうだ。いろいろと勉強になった。ライナーノーツはこうでなきゃね。