昨日に引き続き、ちょっと意表を突いたレパートリーを。
プロコフィエフ:
クラリネット協奏曲 作品94*
夏の日 作品65bis
シンフォニエッタ 作品48
クラリネット/ジョン・ブルース・イェー*
ディーター・コーバー指揮
シカゴ室内管弦楽団
1993年頃、シカゴ
Centaur CRC 2154 (1993)
「
プロコフィエフのクラリネット協奏曲」と聞けば、そりゃあ何かの間違いだろうと誰もが反射的にそう思うだろう。
プロコフィエフにはピアノ協奏曲が五曲、ヴァイオリン協奏曲が二曲、チェロ協奏曲が(未完のものも含め)三曲、これがすべてである。たしかに彼はこの楽器のシニカルで瓢然とした音色を好んでおり、交響曲やバレエ音楽のなかで随所に印象的なソロを散りばめているのは事実だが、協奏曲は残さなかった筈だ。
慌てて種明かしするなら、これはプロコフィエフの
フルート・ソナタ(1943)の協奏曲版なのである。初演を聴いたオイストラフの強い奨めで作曲者自身がこれをヴァイオリン・ソナタに書き直した事実はよく知られていようが、ジノ・フランチェスカッティがこれを更にヴァイオリン協奏曲に編曲している事実は殆ど知られてはいまい。
このCDに収められたヴァージョンは、米国の作曲家ケント・ケナン Kent Kennan(1913~2003)が1984年まずクラリネット・ソナタに編曲し、それを三年後に協奏曲に仕立てたもの。墓の下のプロコフィエフの全く与り知らない事態である。
いくらソナタ形式で書かれておようとソナタと協奏曲とでは自ずと書法が異なる。だからやっぱり変なのだが、このオーケストレーションはなかなか良くできている。クラリネットをうまく引き立てているし、地味ながらプロコフィエフ特有の響きをうまく掬い上げている。ケナンは作曲家としての知名度は低いが、管弦楽法の名手としてそれなりに知られていたそうで、その練達の腕前は存分に発揮されている。
肝腎の演奏のほうは可もなく不可もないといったところ。シカゴ響の奏者だという独奏者は腕は立つが、まあそれだけの人のようだ。むしろフィルアップのオリジナル作品二曲のほうが愉しめる。
恐らく世界初録音と思われるこのディスクのあと、暫くして決定的な名盤が現れた。
ルトスワフスキ:
クラリネット、打楽器、ハープ、ピアノと弦楽のための舞踊前奏曲
ニールセン:
クラリネット協奏曲
プロコフィエフ:
クラリネット協奏曲
クラリネット/リチャード・ストルツマン
ローレンス・レイトン・スミス指揮
ワルシャワ・フィルハーモニー管弦楽団
1999年3月3、6、7日、ワルシャワ・フィルハーモニー楽堂
BMG RCA 09026-63836-2 (2001)
これを聴いてしまうと先程の演奏の顔色はすっかり失せてしまう。
流石に当代屈指の名手であるストルツマンの解釈は実に行き届いていて、どのフレーズにも命が通い、プロコフィエフの楽曲をあたかもオリジナルであるかの如くに聴かせる。ストルツマン恐るべし、その説得力に脱帽だ。ルトスワフスキ、ニールセンの名演ともども推奨に値する名盤である。もはや探しにくいディスクかもしれないが、見つけたら必ず「買い」であろう。