資料で膨れ上がった鞄を両肩に下げて東京まで往還。先程ようやく帰り着いたところ。心配していた雨には一滴も降られなかったのは幸いだったが流石に草臥れた。
前々から聴いてみたいと願っていたCDを頂戴したので早速かけてみる。
《ドビュッシーの時間》
ドビュッシー:
「忘れられた映像」より
レント & 「もう森へなんか行かない」による諸相──だってひどい空模様だもの*
版画*
十二の練習曲**
ピアノ/青柳いづみこ
2007年9月17日*、7月19~21日**、津、三重県総合文化センター
カメラータ・トウキョウ Camerata CMCD-28160 (2008)
当代随一のドビュッシー解釈者である青柳さんの四枚目(クープランとの混成アルバムがあるので正確には3.5枚目か)のドビュッシー・アルバム。
1890年代に作曲されながら長く未刊だったため「
忘れられた」と呼び習わされる最初の「
映像」と、円熟期の始まりを告げる傑作「
版画」と、生涯最後のピアノ曲集である「
練習曲集」との取り合わせが秀逸。なるほどここには世紀末の夢想を潜り抜けて、研ぎ澄まされた「耳の前衛」へと成熟を遂げるドビュッシーの濃密な「時間」が封じ込められているかのよう。
最初の「映像」と次の「版画」とは、同じ民謡主題「もう森へなんか行かない Nous n'irons plus au bois」が登場する点で共通している。ただしこうして続けて聴くと、まるで違ったレシピで調理されたことが歴然。すなわち前者では弾むような躍動感をもって、後者ではぐっと控えめに、そのあえかな谺のように緩やかに響く。その対比ぶりがたいそう興味深い。耳を欹てて聴く。
それにしても青柳さんの「
版画」の堂に入った演奏ぶりといったら! 書法の独創性を丹念に伝えつつ、映像喚起力にも欠けていない秀演というべきだろう。
晩年の「練習曲」は昔からどうしても馴染めない。聴き手を懇切に導くような「標題」を欠いているためか、いきなり抽象的な音響世界に放り出されたような心許なさで途方に暮れてしまう。「そこにこそドビュッシーの真の革新があるのよ」と、この演奏は雄弁に告げているようだ。これを機に、この難解なエチュードと時間をかけて真剣につきあってみようと思う。好きになれそうな予感がある。