それと知らずに昨日のエントリーを書いていて、一昨日が
モーリス・ジョーベールが戦死を遂げてちょうど七十年目の命日であることに気づいた次第である。これも何かの縁であろう、今日はまず彼の早過ぎた死を悼んで一曲聴こう。
アンリ・バロー:
ある影への捧げ物 Offrande à une ombre
ポール・パレー指揮
デトロイト交響楽団
1957年3月19日、デトロイト、ヘンリー&エドセル・フォード楽堂
タワー・レコード ユニバーサル Mercury PROA-291 (2009)
ライナーノーツから引く。
■アンリ・バロー(1900~1997)
《ある影への捧げ物》(1941~42)
今日ではその名を滅多に耳にしない作曲家である。ボルドーに生まれ、パリ音楽院でポール・デュカとルイ・オーベールに師事。1932年、友人とともに音楽集団「トリトン」を結成し、同時代音楽の演奏・普及に努めた。第二次大戦後はフランス国営放送で長く要職にあった。代表作は交響曲第三番(1956~57)、ランボーによる《地獄の季節》(1968)など。
《ある影への捧げ物》は第二次大戦中の1941~42年の作。作曲の直接の動機は同い年の作曲家モーリス・ジョーベール Maurice Jaubert(1900~1940)の早すぎる死にあった。『巴里祭』『アタラント号』『舞踏会の手帖』『霧の波止場』など、トーキー初期のフランス映画音楽を一手に引き受け映画史に名を残すジョーベールは、第二次大戦の開戦とともに志願兵として従軍し、苛烈な対ドイツ戦で戦死を遂げた。題名の「ある影(une ombre)」とは亡きジョーベールの面影、霊を意味し、本作はその鎮魂の目的で書かれた。音楽がひたすら陰鬱な雰囲気に包まれ、苦渋に満ちているのはそのためである。パレーが本作のような作曲年度の新しい曲を例外的に録音した真意は詳らかでないが、おそらくこの楽曲が戦死者への追悼音楽として書かれたことと無関係ではあるまい。
間違いなかろう、1940年10月、当時コロンヌ管弦楽団の常任指揮者の地位にあった
ポール・パレーはパリに進駐したドイツ軍当局からユダヤ人楽員の解雇と楽団名変更(創設者コロンヌはユダヤ系だった)を迫られ、断固これを拒否するとともに即座に職を辞し南仏へ亡命した。密かにレジスタンス運動にも加担しながら、パレーはこのひとりの芸術家の無残な死を悼む曲を自らの心の糧として聴いたのであろう。