ひとりの人物の物狂おしいほどの情熱によって、不当にも等閑視されていた作曲家の存在が忘却の淵から浮かび上がる。かつて
ギドン・クレーメルが
アルトゥール・ルリエーを、
オリヴァー・ナッセンが
ルース・クロフォード・シーガーを甦らせたことはよく知られていよう。忘れ去られた先人の偉業に然るべき敬意を払い、新たな光を当てて再評価に道を拓くのは次代の演奏家の責務なのである。
その蘇生者の役目を演奏家ならぬ映画監督が担ったことがある。
フランソワ・トリュフォー監督は
ジョルジュ・ドルリューに殆どの自作の音楽を委ねていた。ふたりの協働作業はトリュフォーのキャリアの大半に及ぶ。
ピアニストを撃て(1960)
突然炎のごとく(1962)
アントワーヌとコレット ~ニ十歳の恋(オムニバス、1962)
柔らかい肌(1963)
恋のエチュード(1971)
私のように美しい娘(1972)
アメリカの夜(1973)
逃げ去る恋(1978)
終電車(1980)
隣の女(1981)
日曜日が待ち遠しい!(1982)
こうして列記すると毎年のようにドルリューが起用されていることがよくわかる。ただし例外的に1964~70年、74~78年のふたつの時期に空白期があることも判明しよう。この時期トリュフォーが映画を撮らなかった訳ではない。
華氏451(1966)
黒衣の花嫁(1967)
夜霧の恋人たち(1968)
野性の少年(1969)
暗くなるまでこの恋を(1969)
家庭(1970)
トリュフォーとドルリューの間に何があったのか詳らかでないが、この「かくも長き不在」は両者間のなんらかの確執を想像させる。ともかくトリュフォーはヒッチコックへの憧れから彼のかつてのパートナーだった
バーナード・ハーマンを三顧の礼をもって迎え二作を委ねたのち、続く四作では何故か
アントワーヌ・デュアメルを起用している(『野生の少年』の主題曲にはヴィヴァルディを使用)。
もっともこの時期ドルリューはフィリップ・ド・ブロカ監督の諸作や『恋する女たち』(ケン・ラッセル監督)、『1000日のアン』(チャールズ・ジャロット監督)、『愛と死の果てるまで』(ジョン・ヒューストン監督)、『暗殺の森』(ベルナルド・ベルトルッチ監督)、『ホースメン』(ジョン・フランケンハイマー監督)など、国境を股にかけ八面六臂の活躍だったから、トリュフォーとコンビを復活させる暇もなかっただろうが。
ふたつめの空白の理由ははっきりしている。
アデルの恋の物語(1975)
トリュフォーの思春期(おこづかい)(1976)
恋愛日記(1977)
緑色の部屋(1978)
トリュフォーはこの四作品で映画史上にも稀な試みに没頭した。すでに物故した作曲家(といってもヴィヴァルディやバッハではない)の遺した作品(そこにはかつて映画音楽として書かれた楽曲も含まれる)を、あたかもそれらが自分の映画のために書かれたオリジナルであるかのように用いるという企てである。
彼が固執し私淑するその作曲家とは
モーリス・ジョーベール Maurice Jaubert (1900~1940)にほかならない。
ここでトリュフォー監督自身の証言を引こう。聴き手は山田宏一さん。この試みに着手した『
アデルの恋の物語』完成直後、1975年7月のインタヴューである。
山田:
『アデルの恋の物語』の音楽はモーリス・ジョーベールですね。戦前のフランスの映画音楽の巨匠といってもいい存在だったわけですが、どんなモチーフでモーリス・ジョーベールの音楽をつかったのでしょうか?
トリュフォー:
モーリス・ジョーベールは、わたしにとって、映画音楽の最大の作曲家と言えます。なによりもまず、ジャン・ヴィゴの『操行ゼロ』と『アタラント号』の音楽の作曲家であり、ルネ・クレールの『巴里祭』『最後の億万長者』、マルセル・カルネの『おかしなドラマ』『霧の波止場』『北ホテル』、ジュリアン・デュヴィヴィエの『舞踏会の手帖』『旅路の果て』などの音楽の作曲家です。映画音楽だけでなく、ステージの音楽やコンサート用の交響楽も作曲しています。『アデルの恋の物語』に使用した音楽はモーリス・ジョーベールの──当然ながら戦前に作曲した──交響楽の一篇で、この音楽をつかうことはわたしの長年の夢でした。やっとこんど、モーリス・ジョーベールの未亡人の許可をえることができたのです。
山田:
荘重で、しかも抒情的な、美しい音楽ですね。
トリュフォー:
抒情的と言うよりも、真にドラマティックな音楽だと思いますね。
山田:
これまでのあなたの映画音楽を担当してきたのは […] すべて現役の作曲家によるオリジナルであったわけです。もっとも、『二十歳の恋』ではバッハ、『黒衣の花嫁』とそしてとくに『野生の少年』ではヴィヴァルディのクラシック音楽がつかわれていたのですが、今度の『アデルの恋の物語』につかわれているモーリス・ジョーベールの音楽は、大ざっぱな言いかたをゆるしていただくと、いわばクラシックとオリジナルの中間をゆくような、あるいはその両方をかねそなえているようなスコアといった印象をうけるんです。
トリュフォー:
わたしとしては、モーリス・ジョーベールの音楽を、わたしの映画のシーンのイメージに合わせて断片的につかうのではなくて、ひとつの交響楽全篇をオリジナル・ミュージック・スコアとしてつかおうと考えたわけです。これにジャン・ジロドゥーの芝居『トロイ戦争は起こらないだろう』の舞台音楽や、『アタラント号』の音楽の一部を織りまぜました。そして、このジョーベールの音楽に、むしろ逆に、わたしの映画のイメージを合わせて作ったとさえ言えるのです。わたしは、映画の撮影にはいるまえに、パトリス・メストラルの指揮によるオーケストラ演奏でジョーベールの音楽をテープに録音してもらって、撮影現場でも、テープの音楽を流しながら、演出のリズムやイザベル・アジャニの演技のイメージを規定していったのです。これは音楽によって映画のひとつのスタイルを求める試みでもあったのです。
先に「映画史上にも稀な試みに没頭した」「過去の楽曲を自分の映画のために書かれたオリジナルであるかのように用いる」と書いたのはそういう訳だったのである。「
これは音楽によって映画のひとつのスタイルを求める試みでもあったのです」というトリュフォーの述懐がその意図をはっきり示している。
それにしても、撮影現場で実際に音楽を流しながら、演出のリズムを整え、主役の演技づくりを方向づけたというのだから只事ではない。云ってみればこの映画そのものがモーリス・ジョーベールに捧げられたオマージュだったのではなかろうか。
『
アデルの恋の物語』はトリュフォー監督の最高傑作だったような気がしている。もっとも最後に観てからすでに二十年の歳月が経過しているので、それを確かめるには至っていない。当分は再見する機会もあるまいから、手許にあるサントラ盤CDでせめて音楽だけでも聴いて我慢するほかなかろう。
《アデルの恋の物語 オリジナル・サウンドトラック》
モーリス・ジョーベール:
1-4. フランス組曲 La suite française
5-7. 映画音楽『イースター島』 L'île de Pâques
8-13. 映画音楽『アタラント号』 L'Atalante
14. ベッリーニの主題によるカヴァティーナ Cavatine d'après Bellini
15-17. 劇音楽『トロイア戦争は起こらないだろう』
La guerre de Troie n'aura pas lieu
パトリス・メストラル指揮
1975年頃
マーキュリー Philips PHCA-1036 (1996)
音楽を耳にしただけでアデル・Hの物狂おしい恋物語のあの場面この場面が目に浮かぶ、と云いたいところだが、実のところさっぱり思い出せない。
山田宏一が言うようにジョーベールの楽曲、とりわけ「フランス組曲」は確かに「荘重で、しかも抒情的な、美しい音楽」なのであるが、それをトリュフォーは「抒情的と言うよりも、真にドラマティックな音楽だと思います」と切り返すのが面白い。くっきり明快なフォルムがあって人間のドラマを浮かび上がらせる音楽だからだろう。飄々としてどこか俗謡のような人懐っこいところもある。『アタラント号』の音楽は流石によく憶えているし、元の映画のどこで用いられたかもわかるのだが、トリュフォーはこれらをどのように再使用したのか、改めてフィルムを観直して検証してみたくなった。
モーリス・ジョーベールは1939年、第二次大戦の勃発とともに自ら志願して大尉として従軍し、1940年6月19日、アズライユの前線でドイツ軍の銃弾に斃れ帰らぬ人となった。亨年四十。すでにパリは占領され、ペタン元帥がフランス降伏を宣するわずか二日前の悲壮な死だった。今からちょうど七十年前のことである。