ずいぶん間が空いてしまったが、目下バレエ・リュスの原稿の続きを構想中である。
もともとこの連載は
セゾン美術館で開催された「
ディアギレフのバレエ・リュス」展カタログのために書いた「ニジンスキーを観た日本人たち」という三十枚(四百字詰で)の小論を雛型に、それに新資料を大量に加え、五十倍くらいの分量に引き延ばして執筆している。あの展覧会がなかったらこの連載も存在しない。
実のところ担当学芸員の一條彰子さんからは「原稿用紙五枚で」と頼まれたのに、勝手にその六倍も書いてしまった。発注した側からすれば迷惑な話なのだが、当時すでに閉館が決まっていたセゾン美術館は悲愴感を通り越して奇妙な
ヤケクソ的な躁状態にあったためか、「ったくもうっ! 仕方ないわ、載せてあげる」とばかり、全文を掲載して下さった。心からお詫びし感謝もしている。
あれから十二年にもなる。
今の若い人たちはもう池袋の西武デパートに美術館があったことすら知らないだろう。1975年に上層階で「西武美術館」として開館し、1989年に「セゾン美術館」と改称、別館の一階と二階に降りてきた。
1981年 マルセル・デュシャン展 見るひとが芸術をつくる
1982年 芸術と革命 ロシア・アヴァンギャルドの旋風
1986年 グルジアの放浪画家 ニコ・ピロスマニ展
1987年 芸術と革命 II
1989年 ウィーン世紀末
1992年 チュルリョーニス展 リトアニア世紀末の幻想と神秘
1992年 シェーカー・デザイン 祈り・労働・生活の美
1993年 メランコリア 知の翼 アンゼルム・キーファー
1995年 バウハウス 1919-1933
1996-97年 カンディンスキー&ミュンター 1901-1917
1997年 デ・ステイル 1917-1932
1998年 ディアギレフのバレエ・リュス 舞台美術の革命とパリの前衛芸術家たち
凄いラインナップでしょう。思いつくまま書き連ねているだけで溜息が出る。他の美術館には全く真似できない企画ばかりだ。単にバブリーに資金が潤沢だっただけぢゃない。斬新な発想が溢れていたのである。ロシア・アヴァンギャルドも、ピロスマニも、チュルリョーニスも、シェイカー教徒の日用品も、この展覧会でわが国に初めて紹介されたのである。
そのセゾン美術館が断末魔に喘ぎつつも、白鳥の歌を奏でた。その最も美しい調べがすなわち「
ディアギレフのバレエ・リュス」展だったと今つくづく思う。
十二年前に必死で掻き集めた資料コピーを引っ張り出してあれこれ吟味。まだ連載で採り上げていない証言を読み返し、ああでもないこうでもないと策を練る。次回のテーマは「
見損なった奴ら」すなわちバレエ・リュスに遭遇する機会を逃してしまった日本人たちである。はてさて首尾はいかに。