(承前)
天文少年だった小生もこの切手(
→これ)を初めて目にしたときは
木村栄博士のことを知らなかった。今ならネット上で有益な情報がたやすく得られるが、当時のことだから小学校の図書室で調べたのだと思う。たいがいの天文学入門書には、地球の自転軸が独楽の首振り運動の按配で微妙にブレるため、ほんの少しだけ緯度が変化し、夜空の星の運行に僅かな影響が出るのだというくだりで、必ずこの木村博士の業績について触れてあった。手許にあった切手収集の指南書にも、文化人切手の解説に木村栄による「Z項」の発見のことが記されていた。
1898年のこと、シュトゥットガルトで開かれた国際測地学協会の総会で、緯度変化を詳しく調べる必要が議論され、世界各地の北緯39度8分の線上にある六地点に観測所を設置することが決議された。すなわちイタリアのカルロフォルテ、アメリカのシンシナティ、ゲイザーズバーグ、ユカイアの三箇所、ロシアのチャルジュイ、そしてわが岩手県の水沢である。
こうして翌年の秋から冬にかけてこの六地点で緯度変化の観測が実施された。水沢に設置された緯度観測所の初代所長に任じられたのはまだ二十代で新進気鋭の木村栄だった。世界各地の観測結果がポツダムの国際測地学協会で照合されたところ、わが国からのデータだけが想定数値から大きく逸脱していたため、観測技術の未熟による誤差であるとクレームがついた。
ところが事実はそうではなかった。自らの観測結果の精度に自信のあった木村は、データを詳細に点検し、それまでの緯度変化の数式そのものに欠陥があり、従来のxy方程式に新たな変数「z」項を組み込むことで自転運動を正しく記述できることを証明し、世界の測地学者を驚かせた。
…とまあ、そういう経緯だったと思う。
こんなことを知っていても実生活上なんの役にもたたないものだが、たった一度だけひどく感心されたことがある。
1970年代半ば、派手な親子喧嘩をやらかした揚句に上京し阿佐ヶ谷で一人暮らしを始めた頃、隣町の荻窪に建築家志望のTという友人が住んでいた。彼の下宿は散らかし邦題に散らかっていて、「Tの部屋からは生ゴミは出ないよ。いったん室内で永いこと乾燥させているからネ」と口さがない仲間うちでは有名(?)だった。
ある日のこと、散歩ついでにふと立ち寄ったら部屋が見違えるほど綺麗に片付いている。吃驚して「一体全体どうしたの?」と尋ねてみると、「明日、岩手の実家から父が訪ねて来るんだ」とのこと。流石の彼も汚くしたままの部屋に父上を迎えるのは憚られたのであろう。
実家や家族のことを滅多に話題にしないTだが、その彼の口からボソッと「父は今、
水沢の緯度観測所というところに赴任しているんだ」という言葉が漏れた。小生がすかさず「えっ、あの木村栄がZ項を発見した…」と応じると、Tはちょっと不意を突かれたというふうに細い眼を丸くして、「そうなんだよ…よく木村栄を知っているねえ」と嬉しそうに相好を崩したものだ。
閑話休題。
何十年ぶりに
木村栄のことを想起したのには訳がある。
十日ほど前にこんな記念切手が発行されたのである(
→これ)。
題して「
日本学士院賞100年記念」。よくもまあニッポン国は性懲りもなく市民感覚からかけ離れた題材でいつまでも切手を出し続けていることよ!
切手は一シートにつき十枚綴りで五種からなる。上から順に「日本学士院シンボルマーク」「第一回授賞式を伝える新聞記事と賞状」「第一回授賞式会場」「旧日本学士院会館」「授賞牌に描かれた長鳴鳥」なのだという。
莫迦ぢゃないかとつくづく慨歎する。新聞記事や賞状、授賞式会場の写真をあしらえば「日本学士院賞100年記念」を形象化できると思っているらしいデザイナーの愚かしさに言葉を失う。もともと一般人には縁遠いアカデミックな世界での褒賞なのに輪をかけて、居丈高にただ権威を振りかざすだけの空虚なデザインに情けなくなる(切手デザイナー=貝淵純子)。開いた口が塞がらないとはこのことだ。
ルーペをかざして紙面をよくよく観察すると、上から二枚目に掲げられた「賞状」にはどうやらこう記されているらしい。
賞 記
帝國學士院ハ理學博士木村榮ノ地軸變動ノ硏究特ニZ項ノ發見ニ對シ本院授賞規則第二條ニ依り茲ニ恩賜賞賞牌及賞金ヲ授與ス
明治四十四年七月五日
(以下、小サスギテ讀メズ)
あんまりではないか。栄えある第一回受賞者である
木村栄を五十八年ぶりに切手に取り上げておきながら、(小さすぎてよく読めない)賞状と(古新聞からコピーした)不鮮明な授賞式の写真のみ、しかも木村は後ろ姿でしか登場させない。失礼にも程があろう。
もしもこれが「
アカデミー賞100周年」だったらどうだろう。オスカー像という手もあるが、やはり第一回目の受賞作品なり歴代の受賞者なりを切手の図柄に取り上げるのが常道であろう。賞状や授賞式会場の写真では埒があかないのは当然だ。
翻って「日本学士院賞100年記念」に相応しいデザインとは何か。
歴代の受賞者に綺羅星の如き学者が犇めきあうのだから、切手に彼らの肖像写真を登場させない手はない。すなわち
木村栄、
野口英世、
佐佐木信綱、
寺田寅彦、
石原純、
柴田雄次、
金田一京助、
和達清夫、
湯川秀樹、
古畑種基、
中村元、
家永三郎…。かつての「文化人切手」の再来かと見紛う錚々たる陣容である。
著名人に偏りすぎて不公平というのなら、第一回目から順に十五人あたりまで全員を切手化すればいい。それだって木村栄、野口英世、佐佐木信綱、寺田寅彦までが含まれるのである。この賞の重みが自ずと伝わって来ようというものだ。
肝腎の受賞者を抜きに「賞」だけを顕彰しようとするからおかしなことになる。研究者あっての学士院賞ではないのか。