ひょっとして
西周という名前をご存じだろうか。あるいは
木村栄。
殆どの方は「全く知らない、見覚えのない名前だなあ」とおっしゃるだろう。ましてや前者を「
にし あまね」、後者を「
きむら ひさし」と読むことなぞ知る由もなかろう。
ウィキペディアには流石に立項がある。少し修辞を改めて抜粋する。
西 周 (にし あまね)
文政12年2月3日(1829年3月7日) ~1897年(明治30年)1月31日
幕末から明治初期にかけての啓蒙運動家、教育者。
1862年(文久2年)に幕命で津田真道、榎本武揚らとともにオランダ留学し、フィセリングに法学を、またカント哲学、経済学、国際法などを学ぶ。1865年(慶応元年)に帰国後、目付に就任。大政奉還前後は徳川慶喜の政治顧問を務め、1868年(慶応4年)、幕府の沼津兵学校初代校長に就任。1870年(明治3年)、明治政府の兵部省に入り、以後、文部省、宮内省などの官僚を歴任。
1873年(明治6年)には森有礼・福澤諭吉・加藤弘之・中村正直・西村茂樹・津田真道らと共に明六社を結成し、翌年から機関紙『明六雑誌』を発行。西洋哲学の翻訳・紹介等、哲学の基礎を築くことに尽力した。
東京学士会院(現在の日本学士院)第2代及び第4代会長、獨逸学協会学校の初代校長を務めた。1890年(明治23年)には貴族院議員となる。
「philosophy」を音訳せずに翻訳して「哲學」なる語を創ったほか、「藝術」「理性」「科學」「技術」「化學」など多くの哲学・科学関係の訳語は西の考案になる。
木村 栄(きむら ひさし)
明治3年9月10日(1870年10月4日)~昭和18年(1943年)9月26日
日本の天文学者、理学博士。
石川県金沢市出身。寺尾壽に位置天文学を、田中館愛橘に地球物理学を学んだ。
1892年(明治25年) 、東京帝国大学理科大学星学科を卒業。 1899年(明治32年)、 水沢緯度観測所(現・国立天文台水沢VLBI観測所)の所長に就任、 ここで観測結果に基づいて1902年(明治35年)に緯度変化の「Z項」を発見した。
1911年(明治44年) 、その功績により第1回学士院恩賜賞を受賞。 1922年(大正11年)には水沢に万国緯度観測中央局が置かれその局長に就任、1936年まで在職した。 1937年(昭和12年) 、第1回文化勲章を受章。
1970年(昭和45年)、月面のクレーターにその功績を称えて「キムラ」(Kimura)の名が付けられている。
してみると、ご両人とも一般人の日常とはかけ離れた高尚な存在である。
ところが、である。われわれの世代(ということは五十代後半)にはしばしば、といっても、十人に一人くらいの割でなのだが、
ああ、ニシアマネね、「哲学」「芸術」「化学」というコトバを発明した学者でしょ?
キムラヒサシって、あのZ項の。緯度を詳しく測って理論の誤りを正したヒトだよ。
などと、さも当然といったふうに言ってのける輩が必ずいるはずだ。そして彼奴めは事もなげにこう嘯くだろう、「
そんなことなら小学生の時分から知ってるよ」と。
(明日につづく)