外国で芝居なんぞ観るもんぢゃない。つくづくそう思い知らされた。言葉、言葉、言葉の奔流に押し流され、弾き飛ばされてしまうのがオチである。
あれは1997年だったか所用でパリに赴いた際、パレ・ガルニエやロペラ・バスティーユやペニッシュ・オペラで大小の歌劇を堪能した余勢を駆って、
サッシャ・ギトリのコメディでも観てみようかと出来心を起こし、モンマルトルの小屋に腰を下ろしたはいいものの、間断なく機関銃のように速射される台詞がただの一言も分からず、尻尾を巻いてすごすご退散したものだ。恥多き思い出である。
それでも時には禁を犯したくなる。分からぬなら分からぬなりに馨しいディクシオンに我が身を委ねてみたくなるのだ。近頃こんなCDが出ているのに気づき、かの地から取り寄せてしまった。全くもって懲りない奴というほかない。
ジャン・コクトー:
人間の声 La voix humaine
冷淡な美男子 Le bel indifférent
出演/
ギャビー・モルレー Gaby Morlay
エディット・ピアフ Edith Piaf
1955年頃、1953年4月20日、パリ
EPM T 67 (2009)
さすがに『
人間の声』はよく理解できる。それもそのはず、プーランクの独りオペラと殆ど同じリブレットだもの。
もともと
リュドミラ・ピトエフ夫人のため書かれ、1930年コメディ=フランセーズの舞台にかかった。別れた恋人に電話口で未練たっぷり無駄話する「卑近な」現代劇が古典の殿堂で演じられたとは些か驚きである。初演者
ベルト・ボヴィにSP二枚分の抜粋があったものの、芝居全体が聴けるのは、映画化された
アンナ・マニャーニ(1948)の凄演(怪演か)を除けばこの録音が最初の筈だ。仏Deccaから1950年代中頃に出たきり半世紀間も埋もれていたこの録音が(素状の怪しいディスクながら)ようやくCDで陽の目を見たのを寿ぎたい。
ギャビー・モルレー(1893~1964)は1910年代からサッシャ・ギトリの芝居やマックス・ランデールの喜劇映画に出演し、戦前から戦後にかけて『かりそめの幸福』(ラルビエ)、『アルルの女』(アレグレ)、『快楽』(オフュルス)など夥しい数の映画に登場したそうだが、小生は寡聞にして知らない。流石に百戦錬磨のヴェテランだけあってこの『声』はなかなか堂に入った秀演なのである。少なくとも熱演が場違いなマニャーニや名優気取りの
イングリッド・バーグマンよりも遙かにいい。
これは晩年のベルト・ボヴィが再び取り組んだ録音や、
シモーヌ・シニョレが自らのアパルトマンで演じた録音(1964)と並び、この独り芝居の代表的な名盤たりうるのではないか。それにつけても1948年に
杉村春子が日本初演したという舞台はどんなだったのだろう。こればかりはもう想像の彼方である。
もうひとつ併録された『
冷淡な美男子』のほうは疾うの昔に本家本元の仏EMIから覆刻盤CDが(
ドニーズ・デュヴァル出演のオペラ『人間の声』とカップリングで)出ているので珍しくもなんともない。
この芝居は観たことがないが、同名の映画なら知っている。若き
ジャック・ドミー監督が舞台劇そのままに映像化したものだ(1957)。不釣り合いな男女が登場するが、男性(「つれない美男」)はただ背後にいるだけで、ひたすら年増女のほうが独り毒づき、喚き散らした果てに男を捨て去る、といった内容ではなかったか(ちょっと違うかな?)。なんだか『人間の声』の焼き直しみたいで鼻白んだものだ。
エディット・ピアフの才能に惚れ込んだコクトーが彼女のために書き下ろし彼女が初演した芝居(1940)だけあって、流石に堂に入った演技であることは判るが悲しい哉その台詞は聴きとれない。でもドスの効いた迫真の熱演であることは確かである。いずれ台本を手に入れて聴き直してみよう。
この二作にシャンソン歌手
マリアンネ・オスヴァルトのため書き下ろした独り語り『
モンテカルロの女』(1936)を加えた「孤独な女の独白」三部作はコクトー演劇の白眉である。同性愛者コクトーならではの非情なまでの女性観察の成果といえようが、そこに不思議な共感が滲むところが味わい深い。