続く並木を ポプラの道を
走れ車輪よ グングンと(ヘイ)
風の中の小鳥のように
ドミソド シラソファ ミレドシド
燃える林だ 紅葉(もみじ)の山だ
どこも素敵な 秋の日だ(ヘイ)
走れ友よ 口笛吹いて
ドミソド シラソファ ミレドシドすっかりピクニック気分で暢気に口ずさんでいた。「
走れ並木を」という元気なマーチング・マーチ風の歌である(詞=小林純一)。NHK「みんなのうた」1961年10~11月放映というから小学三年生の頃だ。九歳になったばかりの時分のこと。
それにしても罪作りな歌詞というほかない。元歌とまるきりかけ離れてしまい、おまけに弾むような行進曲調にアレンジされたものだから、サラ・ブライトマンのアルバムで元の民謡「
ある朝早く Early One Morning」のブリテン編曲版と出逢うまで、それがどんなに悲愁に満ちた歌なのか気づかぬまま四半世紀を過ごした。
元の民謡の歌詞をアルバムのブックレットから引き、拙訳を添える。
Early one morning,
just as the sun was rising,
I heard a maid singing
in the valley below;
"O don't deceive me,
O do not leave me!
How could you use a poor maiden so?"
"O gay is the garland,
fresh are the roses
I've culled from the garden
to bind on thy brow.
O don't deceive me,
O do not leave me!
How could you use a poor maiden so?"
ある朝早く、
陽が昇る頃、
ひとりの乙女が下の谷間で
唄うのが聞こえた。
「ああ、私を裏切らないで、
私を置いて行かないで!
哀れな乙女にどうしてそんな仕打ちをなさるの?」
「花環は鮮やか、
薔薇は瑞々しい
私は庭で摘み取られ
あなたの額を飾るのよ。
ああ、私を裏切らないで、
私を置いて行かないで!
哀れな乙女にどうしてそんな仕打ちをなさるの?」こんなにも哀しい歌詞だったのだ。不実な恋人の心変わりに遭った乙女の悲痛な嘆きの歌なのである。それを能天気な郊外サイクリングにしてしまうなんて、あんまりといえばあんまりではないか!
罪滅ぼしにこの民謡に基づくいくつかのアレンジを聴く。
シリル・スコット:
ピアノ協奏曲 第一番
交響曲 第四番
ある朝早く (1930~31/1962改訂版)
ピアノ/ハワード・シェリー
マーティン・ブラビンズ指揮 BBCフィルハーモニック2005年9月8、9日、マンチェスター、新放送会館第七スタジオ
Chandos CHAN 10376 (2006)
"Stokowski conducts Percy Grainger Favourites"
パーシー・グレインジャー:
カントリー・ガーデンズ*
モリスもどき
ある朝早く**
シェパーズ・ヘイ!*
アイルランド、デリー州の調べ**
岸辺のモリー
ストランド街のヘンデル*
ピアノ/パーシー・グレインジャー*
レオポルド・ストコフスキ指揮 管弦楽団1950年5月31日、11月8日**、ニューヨーク
Cala The Leopold Stokowski Society CACD0542 (2005)
当然のことながら
シリル・スコットも
パーシー・グレインジャーもこの民謡の心を知り尽くしている。スコットの「ある朝早く」はピアノと管弦楽のための緩やかな協奏曲断章で「詩曲 Poem」と副題され、次のような内容をもつ。
この詩曲は弦楽合奏が八分の七拍子と八分の五拍子を交替させつつ、旋律的で抑制された楽句を奏でながら雰囲気豊かに開始される。ここで暗示されるのは薄靄が漂う夏の朝の静かな日の出の気分である。やがてピアノが特異な和音(作曲者の後期の特徴である)をアルペッジョで奏し、瀧のように下降する音型へと受け継がれ、歌う鳥たちの印象を愉しげに醸し出す。ピアノは管弦楽の持続和音で支えられている。冒頭の楽句の数小節が反復(管弦楽のみ)されたあと、最初の楽句に基づきながら、喜ばしい気分に彩られた独奏ピアノの経過句が続く。これに導かれて、よく知られた民謡「ある朝早く」の変形がオーボエに現れる。ここでようやくピアノが元の民謡そのままの形を、斬新で率直な和声に彩られつつ奏でる。こうしてさまざまな変奏と展開を重ねながら、冒頭の主題が再び回帰する。やがてクレッシェンドのただならぬ昂揚のあとクライマックスに達し、下降音型が反復されるなか、緩やかに鎮まっていく。作品はピアニッシモで詩的に締め括られる。この一文はスコットが盟友グレインジャー宛てに献呈したスコア(メルボルン大学グレインジャー博物館蔵)に貼付されていた作曲者自身による解説である。
スコットの編曲はドビュッシーの「牧神」やラヴェルの「ダフニス」を踏まえて爽やかな朝の光や空気感の描出に意を用いているが、「ある朝早く」の主題が導かれるや、なんとも名状しがたい儚さと物憂さが漂う。作曲者は民謡の心をよく承知していた。
グレインジャーは更にその先を行く。いきなりホルンが奏でる主題はなんと短調。憂愁の予兆に満ちている。転じてフルートが長調で引き継ぐが、曲調は一向に晴れない。どこまでもほの暗い悲しみの影が付き纏うのである。
この管弦楽用編曲は他の六曲とともにグレインジャーがストコフスキの依頼に応えて特別に誂えたもの。録音セッションがそのまま世界初演となった。この民謡に内在する悲劇性をストコフスキはありったけの力で表出するものだから、大地が啜り泣き咆哮するような凄まじい名演になった。「ある朝早く」は嘆きの歌なのである。