2004年夏に東京国立近代美術館で観た「
琳派 RIMPA」は、その展示構成の大胆不敵さでひときわ人目を驚かせた展覧会である。
なにしろ展示室で目にする最初の作品が日本画ならぬ
グスタフ・クリムトなのだ。俵屋宗達、本阿弥光悦に始まり、尾形光琳、渡辺始興、酒井抱一、鈴木其一と順当に系譜を辿ったあと、明治以降の菱田春草、今村紫紅、小林古径、前田青邨、加山又造、更にはルドン、ボナール、マティス、ウォーホル、李禹煥までを展観したのである。東京国立博物館ではとても実現しえない劃期的な展覧会であろう。
つまり画家当人が認めようが認めまいが、影響関係があろうがなかろうが、装飾性と近代性において似通った資質をもつ画家を等し並みに「琳派的」と呼び倣わすことで、日本美術史上の概念である「琳派」をひとまず棚上げし、時空を超えて偏在する「RIMPA」なるものを提示しようとした。展覧会名の和洋併記はそれ故である。
六年を経て展示の詳細はもはや思い出せないが、久しぶりに俵屋宗達の『舞楽図』『鶴下絵三十六歌仙和歌巻』『蓮池水禽図』『牛図』と再会し、一堂に会した「琳派的」なる絵画の系譜を辿ってみて痛感した一事はまざまざと憶えている。すなわち、
宗達に似た画家はその後ひとりとして出現していないという思いである。
思い切った単純化と平面化とデフォルメ。はち切れんばかり力の籠った自律的な輪郭線。にもかかわらず、画面の図式化や図案化とは一線を劃し、今にも動き出しそうな「形の生命」に横溢する。彼は絵画の王道を極めたのだ。光琳以下「琳派」の画家たちに辿ることの叶わなかった道筋である。
宗達は唯一にして無二、孤高の存在だった。むしろ彼が目指す方向と辿り着いた境地はなぜか
アンリ・マティスを連想させる。1988年に訪れたレニングラードで大作『
ダンス』(
→これ)を目の当たりにしたとき、ゆかりなくそう直観した。1993年にパリで別ヴァージョンの『ダンス』三作揃い踏みに遭遇した際にもしたたか痛感させられた。
ここにもうひとりの宗達がいる、と。
『琳派 RIMPA』展の会場に並んだマティスは比較するに貧弱過ぎたが、宗達が三百年後のフランスに忽然と転生したかのような不思議さに息を呑む思いだった。
今頃になってこの展覧会に思いを致したのは今日たまたま一冊の近刊を手にしたからだ。帰宅途上、西船橋駅構内の本屋で見つけた。
古田亮
俵屋宗達 琳派の祖の真実
平凡社新書
2010
(まだ書きかけ)