なんでも
パリ市立近代美術館が盗難に遭ったらしい。
ピカソ、マティス、ブラック、レジェ、モディリアーニの絵画計五点が盗まれたといい、被害総額は8,600万ユーロ(1億2,300万ドル相当)を下らないという。BBCのサイトに拠れば以下の作品。100×65cm あるモディリアーニを除けばいずれも運搬が容易なサイズの絵ばかりだ。(
⇒これら)
マティス 「牧歌的情景」1906
ブラック 「レスタック近くのオリーヴの木」1906
ピカソ 「鳩と青豆のある静物」1911
モディリアーニ 「扇を持つ女性、ルニア・チェホフスカ」1919
レジェ 「燭台のある静物」1922
まあここはポンピドゥー・センター(こちらは「パリ国立近代美術館」)ではないので、誰もが知る名品はモディリアーニ最晩年の婦人像一点きりだろうが、マティスは奔放なフォーヴィスムを彷彿とさせる佳作らしく、ブラック初期の多彩な「フォーヴ」風景画は珍しいし、レジェも悪くなさそうだ。ピカソはキュビスム真っ盛りの静物だが、出来映えはやや平板、まずまずといったところか。
わが新聞報道は「
被害総額百二十億」と口を揃えるが、上から順にざっとニ十、十、三十五、四十、十五といった皮算用であろうか。合計するとたしかに百二十億になる。もっとも世界にこれだけ喧伝されてしまった盗品なので転売は難しかろう。
パリ市立近代美術館 Musée d'art moderne de la Ville de Paris は案外と知られていないのではないか。ルーヴル、オルセー、ポンピドゥーというお定まりの鑑賞ルートからも外れている。
セーヌ右岸、地下鉄のイエナ駅もしくはアルマ=マルソー駅から歩いてすぐのところに建つ美術館で「
パレ・ド・トーキョー Palais de Tokyo」なるコンクリート製の広壮な建物のなかにある。1937年の万博のとき美術展示用に新築された建造物だという話だが、その半分(東翼)が市の美術館に転用されている(近年になって西翼に現代美術ギャラリー「パレ・ド・トーキョー」が開設された由)。
忘れもしない1993年の12月。生まれて初めてパリに降り立った。
「旅の達人」を自認する引率者
梅田英喜氏はロンドンに引き続きここでも容赦なく「さあ、観たいものを自分の足で好きにお捜しなさい」と、右も左もわからぬ新参者を市中に放り出した。「夕方にまた落ちあって、どこか気楽な店で生牡蠣かムール貝でも食べましょう」と。手許にはホテルのロビーで見つけたありきたりの街路図がペラ一枚あるだけ。訳もわからず盲滅法に歩きだした。
あちこちの壁にでかでかと「
バーンズ・コレクション」展の広告が貼り出されていた。建物老朽化に伴う補修工事のため「後にも先にもこれ一回きり」の触れ込みで世界巡回した同展がちょうどパリにやってきたのである。
物見高いのはニッポン人だけぢゃない、この街でもバーンズ人気は凄まじく、会場のオルセー美術館には連日のように長蛇の列ができていると聞かされたが、臍曲がりの小生は一顧だにしなかった。どのみち数か月後に東京で観られるとわかっていたので、わざわざ行列する気にならなかったのだ。
初めて見るパリの街にはいたく興奮させられた。
非情なまでに整然たるブールヴァールは全く好みでなかったが、一歩裏町に足を踏み入れるとそこには19世紀の面影を留めた屋根付き商店街「
パッサージュ」がひっそり息づいていた。まるで時の止まったような佇まいに魅せられ、あてどなくほうぼうそぞろ歩いた。なので「バーンズ展」はおろか、ルーヴルやオルセーの方角にはついぞ足を向ける機会がなかった(実は今だにルーヴルを訪れていない…)。
ある日のこと、思いたって
シャンゼリゼ劇場まで赴いた。ここで何か聴いてみたくなったのだ。ブールデルやモーリス・ドニの内装を眺めながら「春の祭典」や「遊戯」の初演を偲ぶのも悪くない。
その名に反してシャンゼリゼ大通りではなく、脇に入ったモンテーニュなる枝路にそのシックな建物は昔のまま美しく佇んでいた。
イザドラ・ダンカンと
ニジンスキーを象ったブールデルの浮彫彫刻にしばし見惚れた。ジューン・アンダソンという歌手のリサイタルの切符を手に入れ、なんとなくエッフェル塔の方角に歩きかけて、見馴れぬポスターにふと目がとまった。背広を着た中年の紳士が杖のように長い棒を右手で高く掲げ、背伸びして巨大な壁面に描画している写真である(
→これ)。
ポスターには "Autour d'un chef-d'oeuvre de Matisse" とある。そして更に "Les trois versions de la Danse Barnes (1930-1933)" と註記してある。思わず目が釘付けになった。
どうやらそれは展覧会の告知ポスターのようだ。会期が11月18日から翌1994年の3月6日までとある。バーンズがらみの展覧会であることは明らかなのだが、会場はオルセーではない。Musée d'art moderne de la Ville de Paris という馴染のない名称が記されてある。
モンテーニュ通りから美術館のある
パレ・ド・トーキョーは指呼の距離にあった。十五分ほど歩いたろうか、なんの心構えもないまま暢気に展示室に足を踏み入れ、いきなり巨大な壁画『
ダンス』と至近距離で対面して言葉を失った。全長実に十四メートル余。途轍もなく大きい。実業家バーンズが自身の美術館展示室の装飾としてマティスに依頼した壁画。普段はこのような状態にある(
→これ、
→これ、
→これ)。
建築に従属せざるを得ない壁画の常として、ヴォールト天井に由来する半円を連ねた窮屈な形状をしているのを逆手にとり、マティスはそこに思いもよらぬ生命力と躍動感を封じ込めた。天才の仕業というほかなかろう。
ただしシスティーナ礼拝堂の天井画と同様、薄暗い高所にあって鑑賞するには実に不都合である。それが初めて壁体から外され、はるばる大西洋を渡って今パリの美術館で目の前にある。しかもちょうど目の高さにだ。こんな僥倖はまたとあるまい。
驚きはそれにとどまらない。同じ部屋のほど近くにこの壁画と瓜二つの「もうひとつの」『ダンス』が鎮座している。全く同形同大、といいたいところだが、長さが数十センチ短いヴァージョンである。図柄も大きく異なる(
→これ)。
マティスはバーンズの依頼で巨大なカンヴァス壁画を仕上げたのち、寸法が建物の実寸よりも僅かに小さいことを知らされ、正しい寸法の別作品を急遽仕上げてアメリカに送った(それが今日バーンズ・コレクションにある壁画)。却下された最初のヴァージョンはそのまま人知れずフランス国内に留まり、1993年(すなわちこの年)パリ市立美術館の所蔵に帰した。そのお披露目を兼ねて、二枚の巨大壁画がここパレ・ド・トーキョーで一堂に会したのである。空前にして絶後であろう。
更に驚くべきことにバーンズのための『ダンス』にはこのほか第三の未完成ヴァージョンも存在することがわかり、これも展覧会を機に初めて日の目を見た(
→これ)。
展覧会の出品作はこの三作品だけ。ほかに何か準備スケッチが並んでいたかもしれぬがまるで記憶にない。だが誰ひとり文句を唱える者はいなかったはずだ。誰もが息を呑み、たた呆然と溜息をつき、この途方もない偉業に見惚れるばかりだった。マティスってやっぱり凄い。震えが来るほどに。五年前に
エルミタージュ美術館(まだレニングラードだった)で観たシチューキン邸のための『
ダンス』(
→これ)も凄まじかったが、バーンズ版だって一歩も引けをとらない。
この日、美術館でほかにも何か観たと思うのだが全く憶えていない。
『
ダンス』三作の衝撃があまりにも大きかったので、他のすべての印象を綺麗さっぱり消し去ったのであろう。このたび盗難に遭ったモディリアーニも観ているはずなのだが…ものの見事に悉く忘れてしまっている。
唯一この美術館で観たと確実に記憶しているのはデュフィの描いた『
電気の精 La Fée électricité』(
→これ)。この建物が建った1937年の万博の「電気館」ために描かれた壁画で(つまりピカソの『ゲルニカ』の兄弟分だ)、電気に纏わる古今の著名な科学者たち百余人(アリストテレス、アルキメデス、レオナルド、ニュートン、フランクリン、ヴォルタ、オーム、ワット、ファラディ、エジソン、マルコーニ、レントゲン…)が居並ぶという大壁画。圧倒的というほかない畢生の大作。なにしろ縦十メートル、横六十メートルもあるのだから、こればかりはどうして忘れられよう?