グーグルのポータルサイトに拠れば今日は
J・M・バリーの生誕百五十年目にあたるのだそうだ。迂闊にもそう云われるまで全く気付かなかった。
1860年生まれの文学者にとってこの一世紀半は決して順風満帆の歳月だったとはいえない。忘却の波は容赦なく彼の名声の上にも襲いかかり、少なくともわが国では『
ピーター・パン』を唯一の例外として、バリーの小説や戯曲が読まれ、言及され、あるいは上演されることはほぼ皆無であろう。
その『ピーター・パン』とて、バリーが最初に彼を主役に据えて書いた小説『小さな白い鳥』(1904刊/1906年に『ケンジントン公園のピーター・パン』と改題)が人口に膾炙しているとは到底いいがたい。もし嘘だとお思いなら試しにその邦語版である本多顕彰訳『ピーター・パン』(新潮文庫)を手に取ってご覧になるがいい。そこには
ウェンディも妖精ティンカーベルも海賊フック船長も全く登場しない事実に吃驚されること必定であろう。典型的な妖精物語で、主な登場人物は赤ん坊のピーターとケンジントン公園に棲息する妖精たち。皆が期待する冒険物語では全然ない。そもそも舞台となるのは倫敦のみ、それも市中の公園から殆ど一歩も出ないのだ。
誰もが知るピーター・パンの冒険譚はこの続編とも拡大版ともいえる戯曲『大人になりたくないピーター・パン』(1904初演)とその小説化
『ピーター・パンとウェンディ』(1911/石井桃子訳の岩波少年文庫版はその翻訳だ)でようやく語られる。有名なディズニーのアニメ(1953)と、その後継作たるホリプロのミュージカルがこちらを原作に仰いだことが「天駆ける永遠の少年」という今日におけるピーター・パンの原型的イメージを決定づけた。
さて第一作を改題した『
ケンジントン公園のピーター・パン』は
アーサー・ラッカムの繊細入念な挿絵入りで出版され、絶大な人気を博した。その証拠に、1907年に出たフランス語訳を愛嬢シューシューのため手にしたとおぼしい
ドビュッシーは、そのラッカムの挿絵に霊感を受けて蠱惑的なピアノ曲「
妖精たちは艶やかな踊り手 Les fées sont d'exquises danseuses」を作曲しているほどである。
なので今日はこの曲を含むCDを聴きながら過ごすことにしよう。
《青柳いづみこ ドビュッシー・リサイタル II》
ドビュッシー:
子供の領分
六つの古代碑銘
前奏曲集 第二巻
ピアノ/青柳いづみこ
1999年11月17、18日、三鷹市芸術文化センター
ライヴノーツ WWCC 7367 (2000)
流石に青柳さんはよくわかってらっしゃる。演奏の周到さはもとより、自ら執筆したライナーノーツでも上の事実に触れ、アルバム・カヴァーにはほかならぬそのラッカムの挿絵を用いる念の入れようなのである(
→これ)。
当該曲は「前奏曲集」第二巻(1910~12)の第四曲。因みに同曲集の八曲目の「オンディーヌ(水の精)」の霊感源もラッカムの同題の挿絵本なのだそうだ。
1993年の12月、畏友に促され導かれるまま初めて倫敦までやってきた小生は「ここから先は自分の足で探索しなさい」と街なかに放り出され途方に暮れた。鉛色の空の下で何も知らず広大なハイド・パークを彷徨い歩き、隣接するケンジントン公園に足を踏み入れた途端、「
ピーター・パンに逢えるかもしれない」と閃いた。
少年時代に集めたニュージーランド発行の切手にピーター・パンの銅像をあしらった図柄のものがあり(
→これ)、それが英京ケンジントン公園に建っているのだと何かの本で読んだことを思い出したからである。
そのブロンズ製の記念像は呆気ないほど難なく見つかった。公園内のあらゆる案内表示板に親切にも "Peter Pan Statue" と矢印付きで方向が示されていたからである。思いのほか小ぢんまりしたモニュメントだった(
→これ)。作者はフランプトン卿 Sir George Frampton という人。バリー自身の発案で製作され、1912年からこの場所にあるのだという。ドビュッシーのピアノ曲と奇しくも同じ年代である。