1920~30年代の古いロシア絵本を収集して永年ずっと心に懸かっていたのは、それらの旧蔵者が一体どのような人物で、いかなる意図からそれらを手許に置いていたのか、という解けない疑問だった。
二百五十冊ほどあるなかで、日本で手に入れた分は四、五十冊ほど。八十年の歳月を生き延びた絵本は驚くほど良好な状態を保っていて、手荒に扱われた形跡を留めるものが殆どない。つまりそれらは一度も子供たちの手に渡ったことのない(したがって、ボロボロになるまで愛読されなかった)ことを強く示唆する。当然ながら日本の子供たちはロシア語の絵本を必要としなかったのである。
それらの旧蔵者は間違いなく歴とした大人であり、察するにロシア文学者、童話作家や童画家、画家や図案家のような人たちだったろうと考えられる。
中山省三郎、
吉原治良、
原弘、
柳瀬正夢、
光吉夏弥の絵本コレクションは奇蹟的に纏まった形で今日まで伝えられたが、他の者たちの旧蔵絵本は概ね散逸して大半が失われ、たまたま慧眼の古本屋の目にとまったものだけが巡り巡って小生の許まで辿り着いたのだと想像されるのである。
海外で入手した二百冊ほどについては来歴なぞ皆目わからない。調べる手だてが全くないのだ。懇意にしている巴里の児童書専門の古本屋にこの件についてかつて尋ねてみたところ、すぐさま以下のような答えが返ってきた。すなわち、
両大戦間のパリやベルリンやニューヨークにはそれぞれ数千から数万人を擁する亡命ロシア人のコロニーがあった。彼らは子供たちの教育のためロシア語で書かれた絵本や童話をぜひとも必要としていたが、その需要に応えるような出版物は容易に手に入らない。そこでやむなく、「憎むべき」ソ連の絵本をさまざまなルートで入手してわが子わが孫に買い与えていたのではないか。戦火に見舞われたベルリンはともかくとして、パリやニューヨークで戦前のロシア絵本が今でもかなり頻繁に見つかるのは恐らくそうした事情が絡んでいるのだと思う。
先日、ロシア文学・ロシア文化を専門とされる
鴻野わか菜さんがロシア語版サイト BBC Russian に「
亡命者宛ての小包 Посылки для эмигрантов」と題する興味深いエッセイを寄せていた(
→これ)。
え~露西亜語は不得手だなあ~とおっしゃる御仁(かく申す小生もそのひとりだ…)もご安心なされ。鴻野さんは懇切にも自らのブログでその大意を日本語で敷衍しておられるので、そこから後半部分を引かせていただく。
モスクワの郵便局では、老人が、おそらくは孫に読ませるために、大量のロシアの絵本を海外に小包で発送している光景を時々見かけた。
先日、ロシア文学者のイタリア人の友人が、エルサレムの図書館でロシア系ユダヤ人作家の資料を収集した数ヶ月のあいだ、ロシアから移住してきたユダヤ人の老人の家に間借りした。その老人も、アメリカに住む孫がロシア語を忘れないようにと、時々ロシアの絵本を送っていた。
そこで友人は、私が以前彼女にプレゼントしたロシア絵本──日本で復刻されたロシア・アヴァンギャルドの絵本──を、老人のためにもう一組贈ってくれるように頼んだ。
私が送った本は、千葉からナポリへ届き、そこからエルサレムを回ってアメリカに渡った。面白いのは、送った本の中に、世界中を旅する郵便の冒険を描いたサムイル・マルシャークの『郵便』があったことだ。絵本の物語と同じように、本自体も世界を一周する旅を体験したのだ。
たしかにそうだったのだ。絵本はこのように国境を越えて旅するのだ。