いやはや四月も終わってしまう。あまりにも辛く多忙な一箇月だった。原稿は一行も書けなかったし、とても書く気になぞなれなかった。
月が改まったとて状況が好転するという保証はないが、新緑の季節の到来によって屈託した心が些かでも慰撫されることを願っている。
月の締め括りもやはりプロコフィエフ。
プロコフィエフ:
ヴァイオリン・ソナタ 第一番
五つの旋律 作品15 bis
ヴァイオリン・ソナタ 第二番
ヴァイオリン/マルク・ルボツキー
ピアノ/ボリス・ベルマン
1991年7月11、12、13日、ロッテルダム、デ・ドゥーレン、小楽堂
Ottavo OTR C791 36 (1992)
こうした小編成の曲にこそ作曲者の肉声を聴くことができるのではないか。それにしても相前後して書かれたはずの二曲のソナタのあまりの差異に驚くほかない。ささくれだった苛立ちと、慰めに満ちた静謐と。そのどちらもがプロコフィエフの素の表情なのである。