今日は所用で千葉市内をあちこちバスで移動したのだが、車中でのお供に絶好の新刊書を持参した。
福岡伸一
ルリボシカミキリの青
文藝春秋
2010
奥付では昨日刊行だが、数日前すでに手にしたもの。福岡ハカセ(と本書では自称される)待望の最新刊である。読まずにいられようか。
これまでの著作と異なり、週刊誌に連載中のコラムの再録なので、七十もの掌篇がコマ切れで続く。その点では些か物足りなくもあるのだが、流石に水際立った文章ばかりで舌を巻く。息詰まるような論理の展開は望めない代わり、切り口の鮮やかさや語りの絶妙、話題の豊富さで読ませる。
すでにお馴染の「
動的平衡」や「
狂牛病」の話も出てくるが、「虫の虫」すなわち昆虫マニアだった少年時代の回想もあれば、留学時の思いがけないエピソードもある。愛読書だったという絵本『
海のおばけオーリー』についての秀逸なエッセイもあるという具合である。
是非とも引用したくなったのは大阪万博を追憶する「
一九七〇年のノスタルジー」のなかの一節。福岡ハカセは「
つまり、なつかしさの正体は、一種の自己愛なのだ」と喝破したうえで、
こうして考えてみると、なつかしさとは何かがおぼろげながら見えてくる。ありありとそれが思い出されるのは、自覚するしないに拘わらず、何度も思い返して、その都度強化しつづけているからである。なつかしさは、いとおしいペットのような自己の記憶なのだ。時に人はそれに足をとられ、しかし時にそれは解毒剤のように何かを溶かし慰撫してくれるものでもある。
う、ううむ。。。身につまされる一節であることよ。
帰宅後は昨日に引き続き、ひっそりと喪に服しながらプロコフィエフを聴いている。
プロコフィエフ:
バレエ『ロミオとジュリエット』(全曲)
アンドレ・プレヴィン指揮
ロンドン交響楽団
1973年6月、ロンドン、キングズウェイ・ホール
東芝EMI TOCE-6549/50 (1990)