(承前)
この先を必死に思いだそうとしてハタと困った。オネゲルの第三交響曲に続く二曲目の
フランク・マルタンの「
フルートとピアノと弦楽合奏のためのバラード」についての記憶がすっぽり欠落しているからだ。
かねて噂に聞いた名手
オーレル・ニコレの登場に心躍らされたこと、演奏が進むにつれニコレの顔がみるみる赤く上気したこと、燕尾服の下にタートルネック風の丸首シャツを着用していたことまでは想い出せるのだが、肝腎の演奏についてはとんと憶えがないのだ。かすれがちな記憶をまさぐっても何ひとつ音が甦らない。さながらサイレントの記録映像を再生しているかの如くである。
試みに頼みの綱のわが音楽ノートを繙いてみると、
そのあと休憩なしで続いてマルタンの小品 《フルートと弦楽合奏、ピアノのためのバラード》。フルートはオーレル・ニコレ。
ニコレは思っていたより太っていて、背も低い。顔を赤らめてステージに現れた。曲はまことにつまらないものに思えた。
記述はたったこれだけだ。わずか七、八分という短い曲だから致し方ないのだが、当日もまるでマルタンの楽曲に感心できなかったのである。これでは四十年後に思い出せないのも無理はなかろう。
折角の機会なのでこのマルタンのバラードのCDを探してみた。四十年ぶりの再聴である。どうやらニコレの録音もあるらしいが、たまたま入手できたジャック・ゾーンの演奏で聴いてみることにする。
マルタン:
フルートとピアノと弦楽合奏のためのバラード
フルート/ジャック・ゾーン
リッカルド・シャイイ指揮
アムステルダム・コンセルトヘバウ管弦楽団
1992年4月、アムステルダム、コンセルトヘバウ
Decca 444 455-2 (1995)
これはこれで悪くない。なかなか魅力的な佳曲ではないか。ただし短すぎて印象が希薄なのは事実。ニコレの実演は恐らくもう少し地味な燻し銀の音色で奏でられたのではないだろうか。
閑話休題。ここで十五分間の休憩が入った、と音楽ノートにある。
今の今まですっかり忘却していたのだが、ノートの記述によればこの休憩時に小生は全く面識のない三人の女の子(たぶん女子高生)に話しかけたりしたらしい。しかも彼女らは小生と同様、「マルタ・アルヘリッチに再会できるかもしれない」という微かな望みを抱いて演奏会にやってきたというのである。
このあと15分間休憩。この間にぼくは3人づれの女の子たちに話しかけた。彼女らもアルゲリッヒのファンなのだという。しかも1月にもらったというアルゲリッヒのサインをわざわざ持参している。1月16日の横浜でのリサイタル、そして銀座のヤマハでのサイン会でもらったのよといって、そのサイン帖を自慢げに開いてみせてくれた。彼女らも今日アルゲリッヒに会えるのではと期待している。
不純な動機で今日のコンサートにやってきたのは僕だけぢゃないんだ、と内心大いに勇気づけられたことだろう。
(次回につづく)