今日も所用であちこち駆け回って足が棒のよう。おまけに篠つく雨。ほうほうの体で帰宅。熱いシャワーを浴び夕食もそこそこに横臥して昨日に引き続き音楽をかける。
ケックラン:
レ・バンダール=ログ
ブーレーズ:
水の太陽*
メシアン:
クロノクロミー
われ死者の蘇りを待ち望む**
アンタル・ドラーティ指揮
ピエール・ブーレーズ指揮*
BBC交響楽団
BBC合唱団*
ソプラノ/ジョゼフィーヌ・ナンデック*
テノール/バリー・マクダニエル*
バス/ルイ・ドヴォス*
セルジュ・ボド指揮**
パリ管弦楽団、パリ管弦楽団打楽器アンサンブル**
1964年9月27日、10月11~16日、ロンドン、アビー・ロード、第一スタジオ
1968年3月4、6、7日、パリ、サル・ヴァグラム**
EMI CDM 7 63948 2 (1991)
最初の三曲はもともと一枚のアルバムを構成していたもの。
アンタル・ドラーティと
シャルル・ケックランとはなんとも意表を突く組み合わせだが、これが稀代の名演なのである。小生はこのLPで初めてケックランの楽曲に接した。それまではフォーレの『
ペレアスとメリザンド』やドビュッシーの『
カンマ』の管弦楽編曲者として名のみ知る存在に過ぎなかったケックランがいきなり「現代音楽」の書き手としての相貌を顕わにしたのに心底驚かされたものだ。
昨日のエントリーで書き写したケックランの自作解説は手許に今も残るそのLP盤(東芝エンジェル AA-8014/1967年)の
柴田南雄さんのライナーノーツから孫引きした。柴田さんは流石に鋭い。その一節を引く。
音楽的教養の巾広さと純然たる技術的完成においては、現代フランス作曲家の中でケクランの右に出るものはいないと言ってもよい。作曲家としては彼は自分の思う通りにふるまった。そしてその源が中世であろうと第二次ヴィーン楽派であろうと、バッハであろうとドビュッシーであろうと、彼は触れたものすべてに自分の烙印を残さずにはおかない。時折自分の練習のためや、他の人々に例として書いた無数のフーガ、カノンなどもその例外ではない。
ケクランの莫大な作品量から見れば、今日未だごく小部分しか出版されていない。オーケストラや合唱の大作はすべて手稿のままだし、初演されていないものもある。明らかにケクランは自分の作品を宣伝することに殆んど、あるいは全然関心を持たなかった。この特長は、シェーンベルクのすぐれた弟子であったギリシャ人のスカルコッタスと同じである。もしも、彼の作品のより代表的なものが聴けるようになって一般に知られたならば、ケクランはたしかに、ドビュッシー以後のフランス音楽において傑出した人物の一人となるであろう。
この柴田さんの預言が成就されるにはそれから四十年の歳月を要したのであるが。