《レ・バンダール=ログ》 の冒頭では、光にみちた朝の静けさが突然猿たちによって打ち破られる。彼らの騒ぎはグロテスクだが、彼らはしなやかに優雅にはねまわる。キプリングからもわかるように、猿は生物のなかでもっとも無駄でつまらない生物である。彼らは自分たちを発明の天才と信じこんでいるが実は粗野な物まねにすぎず、ただ流行を追いまわしている。猿はこの交響詩で、「現代の和声」のさまざまな手法を使っている。(しかしその使い方はひどいものだ。)最初はドビュッシー風の連続5度と9度である。それから彼らは「無調音楽」にとびつき、シェーンベルクとその弟子たちの12音技法に熱心に従う。しかしここで、森全体が彼らと共に歌い始め、無調は音楽的な、ほとんど抒情的なものになってしまう。この情緒的発展は猿たちを悩ませる。やがて彼らは「古典的である」ことを望み、人工的で奇妙な、にせの「バッハに帰れ」を試みる。これは「よい煙草」J'ai du bon tabac の主題による難しいわざとらしい複調となる。半音階的フーガがそれに続くが、ここでは主題と対主題が馬鹿げた対立をみせる。しかし再び森が現われて命令を下し、主題の新しい提示で、フーガを真の音楽に変える。
猿たちが帰って来て(独奏打楽器のパッセージ)、大騒ぎのうちに「バッハへ帰れ」の主題を持ち出す。しかし彼らの苦心作はジャングルの王者たち、バルー、バゲーラ、及び蛇のカーの出現によって中断される。恐ろしい召集ラッパに猿たちは逃げ去り、ジャングルははじめと同じ光にみちた静けさに戻る。ジャングルが歌うとき、それは複調語法や無調語法への純粋の讃歌なのである。これは
シャルル・ケックラン(1867~1950)が自作の管弦楽曲「
レ・バンダール=ログ Les Bandar-Log」作品176(1939~40)のフランス初演(1948年4月15日、ロジェ・デゾルミエール指揮フランス放送国立管弦楽団)に際してプログラム用に執筆した解説ノートである(柴田南雄訳)。面白い、面白すぎる。
ラドヤード・キプリングの小説『
ジャングル・ブック』に取材した描写的な交響詩の装いの下、ケックランは同時代音楽に対する痛烈な批判(皮肉を効かせた痛罵)を音楽を通してぬけぬけとやってのけたのだ。「バンダール=ログ」すなわちキプリング作中の「無知で野蛮な猿ども」とは、無調を標榜する「十二音音楽」の追随者や、安易にバッハ回帰を叫ぶ「新古典主義者」の謂いなのだ。全くもって驚いたなあ。
(明日につづく)