所用で川村記念美術館を訪れた。東京と佐倉とでは開花時期が一週間ほどずれているらしく、庭の各所で桜が今を盛りと咲き競うさまが壮観だ。かつて毎年のように見馴れた景色のはずだが、こうして久しぶりに訪れると美しさに思わず息を呑む。ここはまさしく別天地なのだ。
応接室に招じ入れられ一時間半ほどカタログ製作の打ち合わせ。概ね方針も定まったのでそろそろお暇しようと席を立ちかけたそのとき、扉が開いて詩人の
高橋睦郎さんが入っていらした。だしぬけの遭遇にそのまま呆然と立ちつくす。
お目にかかるのは十七年ぶりだ。1993年の春「
ジョゼフ・コーネル展」で講演会をお願いしたとき以来である。あのとき高橋さんは川村記念美術館で朗読するため、コーネルに捧げる新作詩篇を携えていらした。それがどんなに感動的な出来事だったか、書きかけなので恥ずかしいが、経緯を記した拙文をお読みいただこうか。
→この世あるいは箱の人
→この世あるいは箱の人(続き)
「客席で聴いていて、全身に戦慄が走るのが感じられた」。そこまで書いて二年前の拙文は中断したままだ。あの感動をどうにも文章にできなかったのだ。
高橋さんの口から発せられた言葉にしたたか打ちのめされた。耳から入った言葉がそのまま心臓を直撃するのがまざまざと実感された。後にも先にもあんな体験は二度とない。わが学芸員生活で、あのときほど心震えた瞬間はなかったと断言できる。「
この世あるいは箱の人」とはその詩篇の題名なのである。
あれから十七年。高橋さんが川村記念美術館を再訪されたのは明日から始まる展覧会「
ジョゼフ・コーネル× 高橋睦郎 箱宇宙を讃えて」の仕上げ作業のためであるらしい。会場設計とカタログ装幀を手掛けられた
半澤潤さんも同行され、担当学芸員の
林寿美さんと三人でこれから展示の最終点検と微調整を行うという。
林さんに促されるまま、部外者の小生も驥尾に附く形で展示室に入れていただく。
あまりの素晴らしさに言葉を失う。夢ではないのか。
(明日につづく)